2011.11.

「子ども時間」


 先日幼稚園での選書会のようなことをしました。
小学校でやっているように沢山の絵本を並べて、子どもたちが好きな本を選ぶのです。
4歳のクラスの時です。
好奇心いっぱいの子ども達は本の並べられたテーブルの周りに座ったり、歩き回ったりしながら自分の好きな本を探しています。
背の高い康祐君がそんな仲間たちの外側をふらふら歩き回っています。
歩き方はあっちへ行ったりこっちへ行ったりですが、目は本の表紙から離れません。
ずーっと見るだけ。
時々近寄って見ますが、手には取りません。
もう何周もしています。

「興味を引く本がないのかなあ?」
と心配になりかけたとき、先生が声をかけました。
「手伝ってあげましょうか?」
康祐君首を振っています。
再び回遊。
よく見ると結構楽しそう。
近寄ったり離れたりしながら、本の表紙を楽しんでいるような。

「ど.れ.に.し.よ.う.か.な? かみさまのいうとおり!」
「ちちんぷいぷい」
不意に私にはそんな唱え歌が浮かんできました。
選ぶことを楽しむだけではなく、そんな自分だけの時間があることも楽しむこと。
魔法みたいな時間です。
子どもにとって現実はいつも大人が決めたスケジュール通り、大人の決めたことを粛々と実行するのが大方の時間の過ごしかたです。
でも、本という世界は100冊あれば100通り、広くて深くて予想がつかない。
そんな本を自分だけで選べるのです。
こんな自由な時間を楽しまない手はありません。
そう思って康祐君を見ると2枚貰った投票用の赤い短冊を
「まだ二枚ともあるぞ!」
とばかりひらひらさせながら一冊の本の方に近寄っていきました。
表紙を眺め
「やっぱり、まだやめよう」
と立ち去りかけたとき、お母さんがやって来ました。
お母さんは康祐くんを引き止め、本を示しページをめくり、読み始めました。
これで康祐君の魔法の時間はおしまいです。
さっきまでのうっとりしていた表情ではなく、あきらかに「嫌!」という顔で頭を横に振っていますがお母さんは、それならと次の本に手を伸ばしています。

 康祐くんの「嫌」は本ではなく失った自由時間にたいしてではないかと横っちょからの観察人は思うのですが。
子どもだけの時間。
大人には何をしているのかわからない時間。
それが保証されたらどんなにいいか。


横山眞佐子












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