2012.06.

「生きる力」


 雨降りの続くある日、赤ちゃんとおかあさんが広場に。
車から広場まで傘の中でしっかり抱っこされた赤ちゃんはされるがままにおとなしい。
生後半年くらいだろうか。
まん丸な目とふっくらなほっぺでご機嫌な様子。
お母さんが座って本を読み始めると、あちこちキョロキョロしていたのに身体全体が本の方に。
いつも読んでもらっているんだろうな、と見ていると、読み終わったお母さんが別の本を出した途端手ではらいのけた!
ビックリした〜。この意思表示。
もう一度前の本を見せると「それだよ、おかあちゃん」といわんばかりに嬉しそうに手を伸ばす。
この世の経験たった180日。
その間にどんな成長をしているのか、赤ちゃんを甘く見てはいけない、と感じいった。
一時間、一日と生きることを積み重ねていって人は自分を作り上げて行く。
しかし、その始めの期間は側にいる大人にかかっている。
その赤ちゃんの、まだ言葉は操れないけれど、全身を使ってのおしゃべりをお母さんはきちんと受け止めて、「あら、嫌なん? この本じゃないの!」とか「面白いね〜」と同意を求めたりして、言葉にしている。
素敵な親子。

 その数日後、私は喉にくる風邪を引いた。
信頼する小児科に子どものふりして受診に行った。
季節がら沢山の患者さんだったが、なぜか、どの家族にも病院に来ているという不安感がなく、穏やかに順番を待っている。
点滴をしている子ども、泣いている子供がいるのに、誰もが「大丈夫なんだよ」って雰囲気。

 見ると相当具合悪そうな4、5年生の男の子がその年頃の男子らしく、無表情に入ってきて椅子にどしん。
側に座ったお母さん少しして、彼の方に体を寄せる。
熱を計るようにおでこに手をやってそのまま頭をナデナデ、クシャクシャ。
何か話しかけている。
急に男の子がフッと頬と体を緩めた。

 オ・カ・ミがとなえる「生きる力」を育むために右往左往するより前に、子どもに「生きる」ということが素晴らしいことだと幼い頃に家族や社会の一員が見せて行くことができるかどうかが、学校へあがった子ども自身がその力を蓄えていける基本だな〜!

 笑顔をたやさない病院スタッフと、おしゃれなシャツとチノパンの先生らしからぬ先生の作り出す弱い子どもと親を絶対守ろうとする温かい場所が、各々の人の不安をとりのぞく。



横山眞佐子











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