2014.07.

「ライン」

 一ヶ月前に話題のスマホデビューしました。
内緒だけど、LINEというものも使ってみることにしました。
知人にはライン友達が150人もいると聞き、そりゃあ恐ろしい!と思って非公開にしてみました。
だから家族以外は誰もしらないのです。(あれ?これで知れ渡った?)
それなのに、結構めんどくさい。
チャランと着信音が鳴ると、思わず見てしまう。
返事をダラダラ書いてると、向こうからもう、次の一言がやってくる。
わー間に合わない!
やっと送信すると、「既読」という文字が…。
早?い! もう読んだんならこっちもなんか返さないとまずいか? などと考え、たいしたことではないことを、また書いてしまう。

 これがスマホを握りしめ、しょっちゅう触り、何か送らずにはいられなくなる中毒症状の始まりか!とちょっと怖くなりました。
たった数人の家族でこれでは、何人も「友だち」がいたら一日中、目と手がはなせないのは当然かもしれません。
そんなとき子ども達のラインの使い方とそれに伴う害のことを取り上げたテレビ番組を見ました。
仲間同士でのラインから外されることが、世界の終わりのように思える年代。
いや、本当にその子の人生の終わりが来てしまうことだってあるのです。
ラインという脆弱な繋がり合いが全てに思える十代の若者たちの心の孤独が悲しいと思います。
テレビをご覧になった人もおられるでしょうが「既読」とスタンプされているのに返事をすぐ返さないと無視したと思われて、その繋がりから消去されてしまう怖さを常に持ちながらの関係。
互いに相手の考えをうかがいながらも、いつもビクビクしている。
だから、夜も昼もスマホを離すことができない。
そしてまた、短く書かれた言葉を逆の意味に取られて仲間から外されていくことの怖さも例に上がっていました。
本当なら「それ、どう言う意味なの?」と聞き直すのが当たり間で、そのことで言葉の取り違えに気がつき、訂正ができ笑い話で済むようなことが、そうならないうちに、誤解がどんどん広がっていく。
スマホから離れないといけない。
いや、スマホに支配されない方法を考えつかないと取りかえしがつかないところに、子ども達を連れていくことになってしまう。
そんな恐ろしさを感じるのです。
真夜中何処かに放り出したままの私のスマホには当然だれからもラインでのメッセージは来ないのですが。



横山眞佐子











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