2014.09.

「迷う」

 朝から、時計をチラ見しながら、あと10分布団にいようどうしようか迷っている。
外は少し肌寒くなったけど、この洋服でいいかどうか迷っている。
外食のメニューをみて、これもこれも美味しそうと迷っている。
読もうと思って積み上げてある本のどれを、今夜は読もうかと迷っている。
結局は時間切れになってええい!とどれかを選んで先に進んでいるのが日々の私です。
皆さんはどうでしょうか。
現代の生活は「迷う」→「選択」の積み重ねです。
選ぶゆとりなんかなかった時代と沢山の物があり選ばなければ次に行けない今。

 先日、初めての小学校に選書会に行きました。
いつも通り600冊余りの本を机に広げ、ブックトークをーし、さて投票出来る3票をどの本に入れようかとみな一生懸命。
大人の本では有名な法廷物作家ジョン・グリシャムが初めて児童書として書いた「少年弁護士セオの事件簿」シリーズ4冊を前にして5年生の男の子が悩んでいます。
3枚しかない投票用紙を一枚ずつ三冊に入れるのか、それとも一冊に全部入れて確実に本が選ばれるようにした方が良いのか?
入れたり出したり。
横から私が一冊ずつの見どころをちょっぴり話たものだから、余計に悩みが深くなる。
悪い大人です。
ところが助け舟がやってきます。
まだ決まらない票を持って2人の友達が来ました。
初めの男の子、一生懸命その子たちを説得にかかりました。
見事成功1巻から3巻まで3票ずつ獲得。
安心した彼は4巻目を手に会場の壁に寄りかかり読み始めました。

 迷う、悩む、選ぶ。
それでもまだ残された本にも心が揺らぐ。
これは彼にとって幸せな時間だったでしょう。
そんな子どもたちに比べて、歳を重ねてきた私には、迷い、選んだときには捨てたほうの物や事にはもう二度と出会えないことだってあるということがわかっています。

 片付けによく使われる「断捨離」という言葉が私は嫌いです。
それは清々しくてシンプルで良いようですが、なんだか、迷いも悩みも捨ててしまうのがいいと言われているようで割り切れないのです。
洋服はなかなか処分出来ず、毎日あれこれ悩み、読まないのに積まれた本も片付けられず今にゴミに埋もれると思うのですが。
「迷い」の時間が好きなのですね、私は。



横山眞佐子











一つ前のページに戻る TOPに戻る