2015.10.

「ルール」

 ルールというものは、なかなか難しい。頭ごなしはいけないのじゃないか?

 先日、母を行きつけの美容院に車で連れて行った。
母は91歳。支えがあればゆっくりと歩けるが、デコボコの道では歩行はおぼつかない。
家にばかり居る高齢者でも身だしなみは大切だ。
美容院は下関駅の傍にあり二車線の片側に車を寄せて母を降ろし目の前の美容院に送り込む・・・はずだった。
ところがそこには水色の自転車専用道路が一車線分出来ていて、あろうことか分離するために10p以上の縁石が。
降りようとした母は足をとられ、あわや!という出来事。

 自転車と歩行者の事故が相次ぐこの頃、多分自転車の運転マナーが崩れているのだ。
だから、早速ルールにのっとり分離、理屈はわかる。
でもそれで解決したのか?
一車線しかない駅前の渋滞は?!
駐車禁止はいいとしても、一瞬停車して人が乗り降りするゆとりもなくて駅前と言えるのか!
だれも歩いていないきれいな歩道は幅5mもある。
そこにさらなる2mの自転車専用道路が本当に必要なのか?
今日も自転車は一台も走っていなかった。

 下関中心地の唐戸商店街も、一瞬でも車を止めるとたちどころに駐車禁止と言われるようになってからどんどん寂しい町になっていった。
高齢者には買い物カゴ下げて歩いての買い物は無理。
お店の前にちょっと車を止めて野菜を買いたいと思うのは当然。
そんなことを許すと、長時間止めて迷惑な車が増えると言われる。
すぐに「駐車場に入れて下さい」と言われるが、重い大根とサツマイモを持って歩けないのだ。
だから郊外のスーパーに。

 下関の古い町、長府の商店街では町の人達の希望と努力で商店街の前の道路は駐車禁止ではない。
城下町の道路は狭い。
八百屋、魚屋、洋品店、ケーキ屋などが軒を連ね、日中は車の行き来も駐車も多いし買い物客も歩いて賑やかだ。
長時間は止めない。
お店の邪魔になるところには止めない。
車はゆっくり走る。
暗黙のルールが生活している人たちの間にある。
たまに行く私たちにもその優しいルールがわかるから「ちょっとだけ、止めさせてもらいます」という気分。

 私たちが知らないうちに様々なルールが適応される。
そして「守れ!」と言われる。
人間の暮らしを豊かにするためにあるはずのものが、不自由で威圧的になってはいないだろうか?




横山眞佐子











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