2011.11.

「おお、びっくり!」


 講演会に出かけたご縁で友達になったAさんの依頼で、ちいさい人たちとおかあさんといっしょに絵本を楽しむ会に出かけた。

 会のある前々日くらいに、集まる親子さんの人数がわかった。

「3歳児50名、お母さん40名くらい・・・当日多少の増減があるかも。
 時間は2時間を予定しています。」

 え、え、え、え、え〜〜〜〜!!

 3歳児に2時間ですかぁ? 無理でしょうとは言えなかった。
ちゃんと先に設定を聞いていなかった私が悪いのだから。

 でもまぁ、途中で休憩を入れて、おかあさんたちといっしょに、まぁるいことばの輪を創っていって、そのことばの輪の中に子どもたちをのびのび遊ばせればいいのだから、とどこか楽天的に考えていた。

 ところがどっこい、広ーい会場に入った瞬間から、子どもたちはハイテンション。
ステージによじのぼるわ、走り回るわ、叫ぶわ、なくわ、噛みつくわ。
そして、わかいわかいおかあさんたちは、超がつくほど遠慮深く、ただ、静かにそこに座っておられるだけ。

「今日の会には、おかあさんたちのご協力が不可欠です。
 3歳の子どもたちにとって耳慣れない私の声が正面から聞こえてくるだけよりも、その声を受けて、子どもたちの耳の後ろからおかあさんの馴染んだ声が重ねて聞こえてくることで、子どもたちの言葉の世界がぐっと広がりますからね。」
と心からお伝えしたのだが、おかあさんたちは(い〜え、なにもわたしがそんなにしゃしゃりでなくても・・・)といったはにかんだ表情で、参加の気配は皆無。
援軍なしの孤立状態。

 ちいさいひとたちのこころは、一つの方向に集まると、ふわぁりと大きな空気を生み、何人いようと、むしろ多ければ多いほど、大きな空気を創りだして、みんなが気持ちよくなっていく。
でも、そのためには、その場に在るすべての人たちがその空気を感じ、守ることが不可欠。
それができなかった時、子どもたちはてんでバラバラにエネルギーを発散させ、収拾のつかないことになる。
ついに私は、途中からマイクを使ってしまった。
マイクの声は、生の声ほど子どもたちに届かないことは百も承知で。
音量が大きければ子どもを静かにできるというわけでは決してないことも承知の上で。
おかあさんたちになんとか振り向いてもらおうと思ってしまったのだ。
でも、無駄だった。

 「たのしかったです、っておかあさんたち笑顔で帰って行かれましたよ」
とAさんは言ってくれたが、まったく心は晴れなかった。
いったい子どもたちに何を手渡せた会だったのか?
せめて、
「たった今私がずっこけたように、大きな声を張り上げても、子どもたちの心をひきよせることはできないんですよ。」
と伝える覚悟がなぜなかったんだろう?

 長いこと絵本に関わり、子どもたちといっしょにものがたりの世界に入っていく経験も繰り返してきたことで、どこか「ものがたりを見守ってくれる場所」に対する意識が雑になっていたんだと深く深く反省した次第。
りえさん失敗の巻・・・でした。


村中李衣













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