2012.04.

「ひかりの方へ」


 今回は実に痛いはなしです。

 奥歯がむずむずするのを放っておいたら、どんどこずんどこ痛みがまして、歯医者さんに駆け込んだ時には
「あ〜、こりゃ、膿みが出てくるまで2、3日は痛むのを我慢しないとねぇ」と、
しばらく打つ手がないという状態。
我慢すれば治るということは、一切語られなかった。

 ところが、この2、3日がもう気が遠くなる程辛かった。
痛み止め、6時間は空けてくださいといわれるが、2時間も持たない。
暗い暗い闇の底で得体の知れぬ物怪がのたうち、そいつの拍動がどくっどくっと歯茎を突き破って伝わってくる。
目をつぶっても電気を消しても、冷やしても、しまいには足や手やあらぬ部位をたたいてもひねりあげても、まったく痛みの軽減なし。
3日間の夜を越す辛さ、時間が1分、1分と、小刻みにしか進んでくれない。
あぁ、気づけば小一時間たっていたってことがあったような気がしたけど、あれは、ほんとにこの世のことだったかしらん?
泣きながらそう思った。
それでも、1分ずつしか時が過ぎてくれないので、もっと痛いことがあったはずだ、とその記憶をひきずりだそうとしたが、それが、ない。
そうだ、息子を出産した時は・・とも考えたが、これほど痛くはなかった気がする。
え〜、そんなことないんじゃないの?
と言われそうだが、要するに絶望的な痛みなのだ。
痛みを超えた先に希望がないということ。

 改めて思う。
私たちは希望の小さなひかりに向かってこそ歩ける生き物なのだということ。
ずっと近くで関わって来たつもりだったが、終末医療や癌治療の現場で、どんなにささやかでもいいから、ひとつひかりを点すことの大切さを改めて思った。
医療機関への読み聞かせやお楽しみのボランティアの根幹にも、患者さん自身に見えるこのひかりが欲しい。

 さて、ついに、痛みの限界がやってきて、倒れる寸前で救いの歯意者さんに巡り合った。
「こりゃぁ、さぞかしいたかあったろうや」といわれながら、ぶすっと穴を開けてくれた。その瞬間、100億年分の苔でどろどろの緑の沼底から、ぼわうっ、ぼわうっ、ぼわうっと、
うみぼうずが正体を現した。それは深い深い闇が払われた瞬間でもあった。そしてハッとした。ファンタジーで闇の主が正体を現した瞬間は絶望ではなくむしろそこから希望へ向けた物語が始まる記しなのではないかと。急に岡田淳の『二分間の冒険』を読み直してみたくなった。ってことは、私の痛い痛い物語にひかりが差し込み始めたということか。というわけで、こうやって、元気に原稿なんか打っているのであります。

二分間の冒険 岡田淳著
偕成社/1470円


村中李衣













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