2012.10.

「毎日あなたに会いにいく」


 80歳になる母がいる。

 いろんな約束を忘れる。
電話で応対した相手のことをすっかり忘れる。
やり始めたことを途中で忘れる。
鍋を火にかけていたことも、今ご飯を食べようとしていたことも忘れて、他の行動に移ってしまう。

 そのたび、私に叱られる。

「やらなくていいって言ってるやん。
 いらんことせんで休んでくれとったらいいのに」

 やれやれ、先が思いやられると娘の私はこっそり思う。
その気配を察してか、母はしょげることが多くなった。
それでも、おせっかいは止まらないし、なにかをしていると必ずそばに来て手伝おうとする。
そして、その前にしていたことを、また、忘れる。

 ところが、連れ合いが、2000坪を超える果樹園を買ってから、少し様子が変わってきた。
母がではない。母のことを受けとめる私がだ。

 植えたばかりの23本のブルーベリーの苗に水をやりに出かけようとすると「ひとりじゃたいへんじゃろう」と長靴を履いてついてくる。
やらなければいけないことが、水を撒くこと、草を抜くことといたってシンプルなせいか、母のちいさなちぐはぐなど、すぐに風に吹かれて流れていく。
ふかふか草の傾斜のある道を一歩ずつ踏みしめて歩く丸い背中をみるだけで、褒めてあげたい気持ちになる。

 大きな広い場所に放り出されると、そこにいる、そこに在るという存在の力だけで心が満たされていく。
私より30年近く長く生きてきた分だけ母の存在の方が力がある。
突然草むらの真ん中に座って空を見上げる母を見て、「老い」という言葉にくくられない人間の魂がみずみずしく揺れているような気がした。

 『ペコロスの母に会いに行く』(西日本新聞社)が静かな話題になっている。
この本の作者ペコロスさんと違って私は母と同居しているし、介護の只中にいるわけでもない。
でも、毎日新しい時間を生きている母に出会うため、「おはよう」と台所に入る時も、「ただいま」と家のドアを開ける時も、逃げ回る母を捕まえて毎晩マッサージをする時も、「会いに行っている」のではなかろうか。

 忙しさの中、せまい見方でせまい言葉を浴びせていた母に、陽射しにあたたまったここちよい風や水をおくりたいと反省した10月でした。

                    



 ペコロスの母に
 会いに行く


 岡野雄一
 西日本新聞社
 1260円


村中李衣













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