2012.12.

「パニックのゆくえ」


 広島のホテルに泊まった。
朝食事が終わって部屋に戻り、トイレに入ったとたん、バチンという音がして、トイレの中が真っ暗になった。
え? なに? と思いながらドアに手をかけると、なになになに? ウソでしょ! ドアが開かない。
えええええ? ちょっと待って、もしかして私、閉じ込められた?
まさかね。これって何かのちょっとした不具合よね。落ち着かなくちゃ。
真っ暗やみの中で目を凝らすと、非常用の電話があった。
受話器を持ちあげる。ツーツーツーツー、だめだ、つながらない。
ってことはもしかして、ホテル全体で何かが起こったってこと?
ホテルだけじゃなくて、もしかしてもしかして、広島全域に何かが起こった??
いやひょっとしてひょっとすると、日本中に大変なことが起きたってこともあり?
で私は、ここに閉じ込められたってこと?・・・たいへんだぁ逃げなくちゃ!!
私は必至でトイレのドアをたたいた。
出して! 出して!ここから出して!
たたきながら、こんなの誰にも聞こえやしないよね。
っていうより、みんな自分で逃げるのが必死のはず。
このあたりから、息苦しくなってきた。
そういえば、前になにかのテレビ番組で言ってたっけ。
エレベーターの中で閉じ込められたら、悪あがきするより、じっとしていた方がいいって。
そんなにすぐに窒息死したりはしないって。
ここはエレベーターより広いから当分は大丈夫のはず・・・でもやっぱり胸が苦しい。
いやだ、死にたくない。
もう一度受話器を持ちあげる。ツーツーツー。だめだ。つながらない。
そうだ、天井にはめてある喚起扇口をはずせば、なんとかなるかも。
でも、どうやって開けるのかな。
でもその前にもう一度だけ電話を。ツーツーツー、だめかぁ…絶望に胸が押し潰されそうだ。
ん? このイボは、なに? 指に触れた受話器の真ん中のイボ。
押してみると、ブルルルル、「はいフロントです、お客様どうかなさいましたか?」つ、つうじたぁ〜!

「た、た、たすけてください。トイレに閉じ込められて真っ暗で、さっきから身動きできません。」(実際はドアをたたき続けてかなり動いていた)

「お客様、落ち着いてください。それはどういう状態なのでしょうか?」

「だから、息が、息がくるしいんです。もう倒れそうです。早く来てください。」

「わかりました、すぐまいります」

 そのとき、身体がよろけて、手のひらがドアノブにあたる。ん? これは何? カギ? トイレのドアにカギ? まさかね…指先でカギをひねる。カチッ。あ・い・た。

 あぁ、その瞬間に、世界は大きく開かれた。

「もしもし! もしもし! お客様、大丈夫ですか!」

 突然の真っ暗闇は、私がルームキーをちゃんと所定の位置に差し込んでいなかったのが原因だった。
慌てたので、自分がトイレのカギを閉めたこと、いや、トイレのドアにカギがついていることさえ、頭から飛んでしまっていた。
フロントに平謝りしながら思った。今世界で何が起きているのか、いったいどうなってしまっているのか、閉じ込められた場所では、さっぱり判断がつかない。
困難の只中、混乱の只中での情報遮断の恐怖を味わった。
あぁ、恥ずかしすぎて、二度とあのホテルには近寄れない。


村中李衣













一つ前のページに戻る TOPに戻る