2016.03.

「地上の楽園」


 一晩にして、大きなコンテナ4つに栽培していたふさふさの小松菜が、バリカンで頭を刈り上げたような姿になってしまった。刃を使ったようにすぱっと葉っぱの部分が消え、頭を失くした薄緑の茎だけが、残った。

冬を超え関門海峡を飛来してきたヒヨドリのしわざらしい。

 秋に種を撒いてからは、やれ芽が出た、うわっいいねいいね、間引きはこのくらいでいいんかな、おっ、だいぶ伸びてきたぞえらいえらい、やっぱほめると嬉しそうだわぁ?と、なにくれとなく世話をし、雪が降り始めると飛び出して行って、大きなゴミ袋を何枚も切り裂いてにわかビニールテントまでかぶせて、成長を見守った。それが一晩でやられた。

「もう、ヒヨドリのやつ、許せない」と、半泣き状態で、哀れな細い茎だけを一本ずつ収穫していった。近所の農家のおばちゃんが通りすがりに「あら、りえさんがこんな時間に・・・めずらしいわね」と声をかけてこられたので、かくかくしかじかみてちょうだい、とコンテナの惨状を知らせた。すると、空を見上げて「まぁ、それじゃぁ、そろそろうちの白菜やらブロッコリーも危ないわね」と、さらり。「そろそろ」って・・・そんな風物詩みたいに語るのやめてくださいよ。

「ブロッコリーなんかね、葉っぱだけをきれ?に食べつくすのよ。ほんと、残るのは葉っぱの筋だけ。でも不思議よねぇ、おんなじ作物を植えてても、全滅する畑もあれば、その隣の畑はまったく無傷ってこともあるのよぉ」おばちゃんの話には、ヒヨドリへの敵対心がまったく感じられない。

 夜、茎だけを鍋で湯通ししながら、トラさん(夫)にお浸しにして食べるのにちょうどいい具合に育ってたのにと訴えたら、「そうかぁ。そりゃぁ、さぞうまかっただろうなぁ」と言ってビールをぐびっ。ほんとそのとおりよ、とつぶやいてから、はぁ? 私の頭にあったのは無念の「うまかっただろう」だけど、どうやらトラさんの「さぞうまかっただろう」は、ヒヨドリの食後の満足感のことを言っているらしい。「去年の夏が猛暑だったから、山に木の実も少ないんじゃないのか。冬の間、食べるもんもなくて、ひもじい思いをしてたんじゃねえのか。りえのコンテナは地上の楽園だったな」

 ふうん、そんなもんか。茎だけのおひたしにゴマを混ぜながら、ちょっと楽園のオーナー気分になった。そして、夜中に今日はもう売り切れごめんだからやつら来ないよなぁ?なんて思いながら、ネットでヒヨドリのことを調べてみた。すると、ヒヨドリにとって野菜を食べることはほかの木の実や花の蜜を吸うよりも消化吸収が悪いと書いてあった。それでも野菜を食べつくすのは、季節移動で、もとからいるヒヨドリたちの餌場に参入できず、餌場からあぶれて仕方なくということらしい。あぶれものが一晩で必死に食べてたのか。切れ味のある食べ口も、「今のうちに」という命がけのスピードゆえのものだったのか。

 朝トラさんが起きてきたら言ってあげよう。「うちの娘が丹精込めて育てて誰かにかっさらわれたとしても、それは命をつなぐ儀式なのよね。でも、彼氏が消化不良にならないといいけどね」って。台所で「茎のおひたし」を出しながら。
 


村中李衣















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