2016.07.

「とけちゃうよ」


 知人を迎えに山口宇部空港へ行った。

 1階のロビーに笹竹が準備され、「ご自由に願い事を」と、短冊・カラーペンのセットが置 かれていた。

 つい、飾られた一つ一つの願い事を読んでしまう。「サッカーが上手になれますように」「? ちゃんと幸せになれますように」「家族が元気でいられますように」・・・「妻が怒りませんよ うに」という切実なのもあれば、「げーむきがほしい」「らじこんかーください」とサンタさん へのリクエストみたいなのもある。「ちゃっぴーがおおきくなりますように」というたどたど しい文字の主にはあなたも大きくなりますようにと、つい声ををかけたくなったりして。その 時、横の方で「ねえ、まだぁ? アイスクリームがとけちゃうよ」という困りきった声。みる と、赤ん坊を抱いた若いおかあさん。まだぁ?と呼びかけられているのは、5歳くらいのおね えちゃんと3歳ぐらいの妹。ふたりとも、サインペンをにぎりしめて、短冊とにらめっこして いる。やがて、おねえちゃんは「ぷりきゅあになりたい」と、むずかしいかたかなことばをひ らがなに置き換え、練りこむように短冊に書き込んだ。

 「ねぇ、おわったぁ? アイスとけちゃうよ。行こうよ」まちくたびれたおかあさんの声。 おねえちゃんは、妹の方を見やると、決意したように黙って妹の後ろにまわった。それから妹 の手の上からペンをにぎると、妹をだきかかえるようにして、一文字ずつ書き始めた。妹には、 おねえちゃんがいったい何の文字を書こうとしているのかがわからない。ただ気合だけは十分 入っているようで、サインペンに巻き付くちいさな指が真っ赤。妹があまりに真剣に握り込ん でいるので、おねえちゃんがペンを下に動かそうとしても、うんともすんとも動かない。見る とはなしに見ている私の耳に、ぎぎぎぎーっと、紙の上を必死で降りていくフェルトペンの歯 ぎしりのような音が聴こえてくる感じだ。一文字仕上げるのに大仕事。おねえちゃんも妹も無 言。ようやくできあがったのは「や」の字。二文字目はもっと大変だった。妹は歯を食いしば り、うしろから手を伸ばすおねえちゃんといっしょに、体を横にずらしながらぎぎっと線を引 く。もう一回体を倒して、ぎぎぎぎーっ。横線2本がひけると、妹が顔を動かした拍子に、サ インペンのキャップ側の先っぽがほっぺたに、ぐいっ。おねえちゃんは、気づかない。妹のほ っぺたにサインペンの先端を喰い込ませたまま、さらに、妹の短冊完成のために手を動かし続 ける。妹もほっぺたを凹ませたまま、短冊に挑み続ける。

 「ねえ、まだぁ? アイスとけちゃうよ」。おかあさんは繰り返し続ける。

 ふたりは、溶けていくアイスに心動かすことなく、何を書くのかことばで確かめ合うことも なく、20分近く短冊に挑み続けた。

 そうやってできあがった短冊には「やまもと○○○」と、妹の名前がくっきりと刻まれてい た。これで、おねえちゃんは立派なプリキュアに。そして、妹も立派な「やまもと○○○」に なれた。赤ん坊をだっこしたおかあさんは、その短冊をのぞきこみ、「じゃ、行こう」。

 もう、「とけちゃうよ」とはいわなかった。溶けたアイスのベタベタ感はこれっぽっちもな いサラサラした声に、七夕世界から戻ってきた放心状態の姉妹はすなおについていった。   


村中李衣















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