2017.6.

「ジャガイモの思春期」


連 れ合いが耕したひろ?いひろ?い畑に、今年もジャガイモを植えた。週末だけの気まぐれ農婦の私は、「一畝で十分やん。なにがうれしくてこんなにたくさん・・・」とぶつぶつ言いながら40センチ間隔で種芋を果てしなく植え、土をかぶせ、あいだあいだに肥料をやる。ここまではやった。それなりに、心を込めて、やった。ところがそのあと、ジャガイモの芽が出て葉が伸び始める前に、目立つ雑草を抜いて、ビニールマルチをかけなければならない。これが参った。畝の両脇から伸び始めたジャガイモを挟み込むようにしてマルチをかけていったのだが、風にあおられひらひら揺れてちっともじっとしていてくれない。抑えに土をかぶせるがこれも風に舞い上がり私の顔は砂埃まみれ。痒い。暑い。腰が痛い。どこまでやっても終わらない。30メートルほどの畝4本にマルチをかけ終わったところで、すっかりバテた。もう降参。後は野となれ山となれと、残った畝にはマルチをかけなかった。

 それから2週間、出張が続き週末の農園通いはストップしていた。そして、3週間目、久しぶりに畑に出向くと、おお、みんなたっぷりに日差しを浴びて、元気よく成長している・・・と眺めていて気付いた。ありゃりゃ、マルチをかけていない畝は、端から端までぜ?んぶ緑の葉っぱがわっさわさ。たしか、この畝も他と同じように40センチ間隔で植え付けたはずなのに、とぎれなくどこもかしこも伸び放題葉っぱ広げ放題。雑草たちがジャガイモの葉っぱと同時成長していたのだ。だれがだれやらさっぱりわかりません。困ったねえと思いながらも、見て見ないふりをした。

 この「見てみないふり」は、マルチをかけていない畝の葉っぱたちの暴走を加速化させたようで、翌週行ってみると、太陽に向かって「おれに光をよこせやい」「いやおれにだ」「おれんとこでキャッチだぜい」ともうとんでもないほど大きな葉っぱを広げている。これじゃあ、いくらなんでも地下茎に養分が行き渡らないんじゃないかとようやく雑草抜きを決意した。すると、でっかい葉っぱを広げている割に雑草たちの茎は情けないほど細く、ちょっとひっぱるだけでしゅるしゅる抜けていく。なんか、思春期の虚勢を張って群れて生きるあんちゃんたちみたいだねえ、ひとりずつになると意外ともろいのよねえ、などと心の中でつぶやきながら、どんどん雑草を抜いていった。そして、畝の先端までいって、ふっと後ろを振り返ると、雑草を取り除かれたジャガイモたちが、見事に全員倒れ伏していた。伸ばしすぎた葉っぱは自分だけでは支えきれず、雑草仲間と一緒にひょろっこいもの同士、支え合って何とか生きていたのだ。呆然と立ち尽くす私の耳に「なんだよう、今頃になってぇ。なんにもしてくれなかったくせによぉ。あいつらいなくなっちまって、おれはこの先、どうすればいいんだよぉ」っていう、思春期の切ない叫びが聞こえた。

 ばかだなぁ、私。小さいころから、きちんと根を張り、一人で立つことを教えないでいて、大きくなって急に友達付き合いに目くじら立てて「うちの子を巻き込まないで」と中途半端に干渉する親そのままじゃん。落ち込んでいたら、連れ合いが、「ほっとくしかない。立ち上がるものは、今からでも必ず立ち上がる」とこともなげに言った。そのとおりだった。

 翌週には、細い茎ながら、ジャガイモたちはみんなみんな、しゃんと立ち上がっていた。


村中李衣















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