2018.4.

「ねえみなさん」


 3月24日、下関市の生涯学習プラザで開かれた「絵本とことばの世界 トーク&コンサート」 に出かけた。山口県子ども文庫連絡会の 30 周年とこどもの広場 40 周年のふたつのお祝いの意 味が込められた成熟したすてきな会だった。「成熟した」と書いたのは、ゲストや参加者の年 齢に対する感慨からではない。ひとつには、赤ちゃんも若者も誰もかれもを含め、会場のみん なが成熟した心の寄せ方をしあっていたことへの敬意から。このことは、当日最後の挨拶で、 横山さんもしみじみおっしゃっていた。でも、もうひとつ、ハッと気づいたことがある。それ は、横山さんの「ねえみなさん」という呼びかけの中にある、対等なまなざしによって、私も 含めた会場みんなの心が崇高なものに押し上げられていくさまを目の当たりにしたから。

 横山さんって、素敵なのにぶっ飛んでいるところがあって、ぶっ飛んでいるところがあるの に誰より潔い視線を持っていて、チャカチャカにぎやかなのに心は静謐という、両側面があっ て、それが厚みとなって人の心を惹きつけるんだということは、誰しもが認めるところだし、 私もずぅ?っとそこに、手の届かないあこがれを抱いてきた。ところが、だ。今回のステージ で、マイクを持った横山さんから、例のほほえみと共に「ねえみなさん」と呼びかけられた瞬 間、あ、それだけじゃない、と気づいた。ライブとか講演会とかそういう場所での観客一人ず つは、司会者に丁寧語で呼びかけられることはあっても、同じ場所で同じ時代を今この瞬間も 作りあっている仲間なんだと、誇らしく魂の位置を引き上げてもらえる経験は、まずない。で も横山さんの声からは、その信頼がまっすぐに伝わってくる。だから、むずかっていた赤ちゃ んも、この場にいる仲間の一員として、次第に落ち着きを得ていく。小学生も、わかるわから ないといった<意味判別の世界>ではなく、音楽そのものの、そしてアートそのものの力に、 身をゆだねることができるようになっていく。会場の成熟は、世代を超えたこうした信頼の輪 が創りあげたものだったのではないか。

 うれしくて、ぼぉ?っとして、プラザのエスカレーター前をふらふら歩いていたら、尊敬す るカメラマン吉岡一生さんにバッタリお会いした。ふたこと、みこと言葉を交わしたあとで、 吉岡さんが「ちょっとそこに立って」と階段横を指差された。「写真撮ってあげるよ」とか「記 念に一枚どう?」ではなく、「ちょっとそこに立って」。その自然な言葉は、「いま、あんたは、 心がなにかでいっぱいなんだね」という、吉岡さん流の会話の形を超えた深い対話だったよう に思う。だから私も言われるまま吉岡さんのカメラに向かって素直に笑えた。

 後日届けられたその日の写真は、うれしくなるほどそのまんまの私だった。あぁ、吉岡さん のカメラも、横山さんの「ねえみなさん」とおんなじだ。ひとの育みって、たいそうな教育理 論からでなく、こうした何気ない、しかしぶれることのない丁寧な日常の積み重ねの中から生 まれるんですよね。こんなかけがえのない文化の灯がともる場所を、私たちが守らないでどう する!成熟した仲間としての本気が問われていると、改めて思います。

 ねえみなさん、本は本屋さんで買いましょう。面倒だからこそ、足を運ぶのです。もちろん、 小さい人たちといっしょに、ね。

 


村中李衣


















一つ前のページに戻る TOPに戻る