エッセイを読む

2026年02月

皮も食べる

夕飯の後、掘り炬燵の中に足だけではなく半身を入れてミカンの皮を剥く。外の皮も厚いけれど中の薄皮も決して薄くない。それも丁寧に剥いてパクッ!酸っぱーい!子どもには涙が出るほど酸っぱかったけれど、ご飯の後の果物はこれしかない。私が幼かった頃は、どの家でもこんな風景だったと思う。ミカンのスジも美味しいよ、と教えてくれたのは父。食べ終わった外の皮はその夜のお風呂にポン。温まったお風呂の蓋を開けるとほんのりいい匂い。未だにときどきやってみる私。振り返ってみたら昔はあまり「ゴミ」と言われるものがなかったのかもしれない。食材もなるべく全ての部分を食べ尽くす。骨のついたままのカレイの煮付けの薄い鰓の部分まで綺麗に食べる。その食べ方を教えてくれたのも父。側で見よう見まねでだんだん綺麗に食べられるようになった時の誇らしい気持ちが忘れられず、今でもそうしてしまう。

戦後の日本がどんどん豊かになっていく途上にあった子ども時代だったけれど「どんなものも大事にする」という大人の気持ちがきちんと伝わっていたのだろう。今のように町内ごとにゴミを捨てる箱が置かれ、分別したゴミを入れる袋を有料で買う。そのビニール袋もどこかで燃やされて、何かを出す。今のようにペットボトルなどのプラスチック製品のない時代は日常生活のほとんどは缶、ガラス、紙、布など、再生可能の自然素材が主だった。「お買い物カゴ」と呼ばれるものが、大抵の家にはあり、それを持ってお店に行く。ビニール袋などない時代。そしていつのまにかお店で買い物をしたらビニール袋に入れてくれるという事になった。しかし近年、SDGsという考えが定着したからか、ビニール袋を有料にして、自分のバックを持って来るようにという取り組みが始まり、小さな事だけれど前に向かい始めた。

今日も大根を手にして、皮を剥きながら、ふろふき大根に皮はいらないけど、甘みのある剥い
た皮は明日のお味噌汁の具に・・と取っておく私。

自分の五感を磨いて、せっかくだからそばにある美味しいものを食べ尽くしましょう。

横山眞佐子