エッセイを読む

2019年02月

あさひはのぼる

 大正15年12月25日から昭和46年2月6日まで下関市内を走った路面電車の廃止から48年後、最終運行日に撮影された戸村誠一郎さんの8ミリフィルムを元に、私は上映会を開きました。6分間のカラー映像には関門橋開通を2年後に控えた当時人口31万の下関の空気が漂い、車窓からの眺めや下関駅、唐戸、柳並木のある新町を走る深緑色の路面電車の姿には何とも言えない趣を感じました。お陰様でご年配の方を中心に多数ご来場頂き、会も盛況に終わって今はホッとしているのですが、様々な反響を頂いた中から今回は2つの印象に残ったことを記します。

 上映会では戸村さんの路面電車の写真も30枚ほどロビーに展示していましたが、その中に亡くなった主人が写っていますとお申し出下さったご婦人がいました。長府駅で行われたお別れセレモニーの人ごみの中に、在りし日のご主人の姿を見つけたそうです。「こんなことってあるんですか!?」と驚く私に「主人はサンデンに勤めてましたから・・・」もしかしたらと思い訪ねてくれたそうです。「もう一度会えて良かったですね。」と声をかけ、付き添いの娘さんも交え一頻り思い出話をした後、折角なのでその写真は記念に差し上げました。昭和44年10月29日、今から50年前のご主人との、もう一つの懐かしの再会でした。

 上映会翌日は父の誕生日でした。75歳。実はこの上映会は私が企画して弟が映像を撮影・編集し、姉が受付でチケットを売るという3人の子どもたちで協力しての初めての仕事でした。中学卒業後に唐戸の青果市場に勤め、そこで母と知り合い結婚し、私たちを育ててくれた父に上映後に御礼の電話をすると「懐かしかった。俺にも青春時代があったけぇのぉ」と言って泣いてくれました。少しは親孝行できたかな。

 映像を見ている人々の顔には笑みがこぼれ、何度もうなずき、指差し、思わず声を上げたりハンカチで目頭を押さえたり…表情も様々で色んな想いが去来しているようでした。街並みや人の気持ちも移ろいゆくけれども、たしかなこともきっとあるはず。2日間買い出しやドアマンをしてくれた息子に、これからの私を伝えていきたいものです。

 
昇より

山中昇プロフィール

1971年7月14日生まれ。 地元下関の高校を卒業後、東京の大学に進学&卒業。雑誌編集の仕事と、劇団員を経験したのち地元に戻り、1998年地元下関に開局したComeon! FMに勤務。制作部長として番組制作に取り組む。
2008年FM開局当初から一緒に番組を担当していたパーソナリティーと結婚。2010年3月長男旭誕生。1児の父となる。

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

ひろば通信には新刊の情報やこころがほっこりするエッセイが盛り沢山!