最近ずっと気になる絵本がある。それは、浜田廣介さんの「泣いた赤鬼」だ。村人と仲良くしたい赤鬼。でも彼らは怖がって誰も近づこうとしない。見かねた青鬼は自ら悪役を買って出て、そのおかげで赤鬼はたくさんの友達ができるのだが・・・この本は学校教科書にも採用され、青鬼が赤鬼に宛てた手紙が心を打つ名作だ。小学校の低学年で初めて読んだときは「友だちが出来なくてつらい。誰か助けて。」などと、主人公の赤鬼の気持ちになって読んだ記憶がある。それがいつしか「いや違う。赤鬼を助けた青鬼が凄くて、クールでかっこいいんだ。」と、勝手で未熟な自分がいるにもかかわらず、人に良く思われたくて打算的に考える自分がいた。そんなある日、久しぶりにこの絵本を読み返してゾッとした。赤鬼でも青鬼でもなく、村人になって向き合っていたのだ。当事者でも協力者でもなく、傍観者の自分がいたことに愕然とした。いつからだろう。いつから自分はこんな風にシュートもパスもせず、試合を見る観客になったんだろうと。この絵本からは友情や相手を思いやる気持ち、自分の居場所はどこで大切なものは身近にあることなど、読み直して改めて共感するところがある。もしもこの本が村人たちの視線で描かれたら、果たしてどんな物語になるだろうか。先入観から関わり合うことを恐れ、遠ざけ、噂し合い、見て見ぬふりをしたりしないか。これって、今と変わらないよね。
先日、何年か振りに中学校時代の友人から連絡をもらった。コロナ禍で厳しい社会情勢の中、個人事業主の私を心配して連絡してくれたようで嬉しかった。話し込むテーブルの横では、旭が柳田理科雄先生の「空想科学読本」を読んでゲラゲラ笑っている。電話を切ると旭が「パパ、大きなかぶを引き抜くにはどんだけ力がいると思う?」と聞いてきた。その瞳が輝いていた。心がざわつく。私には「イツマデモキミノトモダチ」と言ってくれる友がいて、「かぶを抜くには5.4トンの力がいるんだよ」と驚き、空想して、創造することにためらいのない子どもがいるのだ。だから、こうしちゃいられない。
昇より