エッセイを読む

2020年07月

あさひはのぼる

 もうすぐ梅雨が明けるのだろうか。遠慮がちにセミが鳴き、我が家のマンションの周りをトンボが飛び始めた。夏の気配はすれどイマイチ実感が湧かないのは、長い自宅生活を余儀なくされたコロナ禍のせいだろう。そういえば梅雨入りして間もない頃、ママがベランダで育てているモッコウバラに、カマキリの赤ちゃんがいるのを見つけた。小指の先程の大きさながら、風に揺れる細い茎にしっかり掴まっている。「こんな小さなカマキリを見るのは初めてだ。どっから来たんかね。」と言うと、「卵から生まれて風に乗ってやってくるんよ。」とママが教えてくれた。それにしても、こんな高い所までよく来たもんだと健気に想い触ろうものなら、お尻をキュッと持ち上げナイキのロゴのようなポーズをとり、一丁前に威嚇するのである。指を切り落とされるんじゃなかろうかと内心ビクビクしている幼少記憶の抜けない父親の傍で、旭はこの思わぬ闖入者を歓迎しているようだ。保育園の時に初めて見たカマキリは怖がっていたのに、今は可愛いらしい。旭は好物のうどんと掛け合わせて「カマタマ」と名付け、とうとう仲間にしてしまった。梅雨も本格的になり下関も大雨や強風の日が続いた。この雨風でカマタマが吹き飛ばされていないか心配した旭はベランダに出て目を凝らし、バラの葉が密集した所でこの雨をしのぐ彼を見つけると、「おる!おる!」と言って安心した。ここずっと窮屈で単調な生活でもあったので、カマタマがこのままいてくれたらいいのにねと話していた矢先、彼は突然いなくなっていた。

 この日は夕方から雨がひどくなり、気になった私がベランダに出てみても姿が見当たらない。雨除けでもしてるのかと思い周辺を探したが見つからなかった。「どこへ行ったんだろう。また帰ってきてほしい。」と残念がる旭にママが、「とべバッタのように跳んで行ったんかね。」と言った。そっか、それなら仕方ないか。別に食べ物やお世話を焼いたわけでもなく、こっちが一方的に愛情を示しただけだ。「お世話になりました」って律儀に挨拶するはずないもんね。だけど、子どもが巣立つ時ってこんなカンジなのかな?旭を見ると、カマタマの行方を追うように遠くを見ていた。何だか急に、広場に掛かる田島征三さんの絵が見たくなった。

  
昇より

山中昇プロフィール

1971年7月14日生まれ。 地元下関の高校を卒業後、東京の大学に進学&卒業。雑誌編集の仕事と、劇団員を経験したのち地元に戻り、1998年地元下関に開局したComeon! FMに勤務。制作部長として番組制作に取り組む。
2008年FM開局当初から一緒に番組を担当していたパーソナリティーと結婚。2010年3月長男旭誕生。1児の父となる。

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