エッセイを読む

2021年07月

あさひはのぼる

 イカ釣り撮影のお仕事で油谷湾川尻岬へ行ったときのこと。イカ釣りは夜の漁で、午後7時に港を出て帰港が午前1時の予定のため、事前に腹ごしらえをした。船酔い防止の酔い止めを服用し、用意周到で乗船。波風を受けながら岬に沈む夕陽に見惚れ、上下左右に揺れる船内で手際よく漁の準備をする船長の姿を撮影する。ベテランカメラマンの横で照明をあてていた私は程なく生あくび。これを繰り返した。「今日は大した揺れじゃないですよ」の一言に安心していたのが間違い。生あくびは船酔いの兆候だと知らされ嫌な予感が的中した。酔い止めなんて効果なし。乗船して30分も経たぬ内に気分が悪くなり、胸が容赦なくムカムカして、滝のように吐くは戻すは。食べたばかりのハンバーグが撒き餌となって海に散っていくのを涙目で追いながら、とうとう横になってしまった。糸を手繰り寄せて釣ったイカにライトもあてられず、情けない姿を晒してしまって面目ないことこの上なし。「このご時世で山中君も大変だろう」と声を掛けて下さった先輩から頂いたお仕事だのに、父の日にママと息子がTシャツをプレゼントしてくれてビールで労ってくれたのに、お父さんは一人、油谷湾の船上の甲板で、打ち上げられたトドのように起き上がれずに横になり、眠っている。不甲斐ない。でしょうとも。歩道橋の上を歩く揺れが苦手な三半規管の弱い私に務まるはずがないじゃないか。でも折角のお話だから背に腹は代えられないだろう?揺れ動く船上さながら私の気持ちも浮き沈み、残るはやるせない気持ちのみ…幸いなことに?この日は不漁のため早めに帰港。現金なもので、陸に上がって安心したのか酔いが覚めてきた。釣ったイカ(ケンサキイカ)は生け簀に放たれ、白いスジと大きな眼を輝かせ宇宙船のように優雅に泳いでいた。「少しばかりですが・・・」と頂いたイカを複雑な思いで手にして、お詫びと御礼を言って家路につく。

 翌朝、「わぁ!イカだぁ!パパすごいねぇ。夜遅くまで仕事したんよ」と言って喜ぶ二人に合わす顔がないので、しばらく寝たふりを決め込むお父さんがいたのだった。

 夢じゃなかったんだね。

山中昇

山中昇プロフィール

1971年7月14日生まれ。 地元下関の高校を卒業後、東京の大学に進学&卒業。雑誌編集の仕事と、劇団員を経験したのち地元に戻り、1998年地元下関に開局したComeon! FMに勤務。制作部長として番組制作に取り組む。
2008年FM開局当初から一緒に番組を担当していたパーソナリティーと結婚。2010年3月長男旭誕生。1児の父となる。

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