新型コロナにより外出を控えていたが、何日も閉じこもってばかりだとストレスが溜まり体にも良くないので、旭と実家の父も誘って近所の日和山公園まで散歩した。途中の長い石段で「グリコ」や「しりとり」など他愛のない遊びをしながら歩くとすぐに頂上へ着く。浄水場と向かいの住宅の間の真直ぐな道を抜けると、視界が開け市街が一望できる。火の山、関門橋、梅光の校舎と礼拝堂、ひっそりと佇む丸山町界隈や王江小学校、傾斜に密集する家々の山の向こうには観覧車が顔を覗かせ、傍には海峡を行き交う船が見える。この丘の上からの街並みは昔とは違うが、私の原風景だからだろうか。何故かホッとする。
公園の桜はすっかり散ってしまい、つつじが咲き誇っていた。旭はつつじに歩み寄るや花を摘み、「うまい。うまい」と言って美味しそうに蜜を吸っている。彼には「つつじは飲み物」であるらしい。ここは幼い頃の私の遊び場で、鬼ごっこや秘密基地を作ったり、高杉晋作像によじ登り海峡を眺めたりしたものだ。父とのそんな懐かしい話を聞いていた旭が早速、晋作像に登り出した。両手両足で岩にしがみつき、猿のようによじ登って晋作の足元に座り、眼下に広がる関門海峡を眺め歓声を上げた。私も後に続き、二人して石川五右衛門のように「絶景かな。絶景かな」と、見得を切るような爽快感を味わった。父は傍らに咲くシロツメクサを摘んで花かんむりを作り、降りてきた旭の頭に被せてやった。その光景を見て、昔どこかのレンゲ畑で遊んで同じようにかんむりを作ってくれたことを思い出した。父に場所を尋ねると、「あれは内日。もうあそこの畑もないやろう。」と教えてくれた。
シロツメクサの花かんむりを実家に持って帰り母に見せると「誰が作ったの?」と聞いてきたので、旭が「爺じだよ。」と教えたら驚いていた。どうやら父が作れることを知らなかったらしい。何でも壊す専門で「ぶきっちょ(不器用)」で鳴らした父の照れた顔が何だかこそばゆい。旭が母にそのかんむりを被せると、母は嬉しそうに笑った。折角だから縁側に出て写真を撮ろうと誘ったら、母は慌てて紅をさし、父の横に座った。シロツメクサの花言葉は幸福。写真には、夫婦が写っていた。
昇より