10年ぶりの日本語表現の授業。今日の授業は、虹の色は何色?から始まった。虹は7色と言われる日本では赤・橙・黄・緑・青・藍・紫のクレヨンで虹を書き分けることが何の疑いもなくなされている。でも、イギリスやアメリカでは6色、アフリカでは部族によって2色だったり8色だったり・・・虹は場所によって光の屈折具合が異なるわけではないのに「〇〇色という言葉を与える」だけで見え方の枠を作ってしまう。
続いて色別に用いられている慣用句を見ていった。そもそも「色」ということばは、色知覚や色刺激を指すだけでなく「色っぽい」「色気」「色めきだつ」「色男」「色を好む」など、男女間の欲情やセクシャルな意味合いにも、日常的に使われている。例えば日本では「よっ、色男」などと囃し立てたりするが、この場合「色」をそのまま英語に置き換えることはできない。もしも、A person of coler あるいはA colered person などという表現を用いたりしたら、たちまち sensitive な人種問題になってしまう。日本語同様の意味を持つフレーズにするなら、sexy guy 或いはlady killer といったところだろう。欧米では「色」が人間に付与されると差別的な意味合いを帯びるということも頭に入れておかねばならない。
一方で四季のある日本で大事にされてきた500色近くもある伝統色(和色)はそれぞれの呼び名自体が日本文化を象徴していたりもする。例えば平安貴族の重ね装束にみられる配色美や、中世武家社会の質実剛健さ、戦国武将の極彩色の装束、山紫水明との調和を求めた風雅、茶道の侘び寂びの世界等々。これらが、今に至るまで、知らず日本人の精神世界を支え続けている・・・といいたいところだが、これらの言葉が使われなくなってくると、その精神世界にもおのずと変化がおきてくる。その変化の一端を、日本語表現を学ぶ学生たちに見せつけられた思いだ。
たとえば、受講生に「〇〇が赤くなると医者の顔が○○になる」の穴埋めを促したら、患者の顔が赤くなると医者の顔が青くなる、というように患者の病いを医者は憂慮するという前提の回答が半数。もう半数の学生は、前者の○○に柿・梅・林檎・梨と、季節の健康に寄与する果実の名前を入れ、それに伴って医者の顔色が、「白」「薔薇色」のように安堵の方向へ変化すると答えた。つまり患者の健康維持が医療従事者にとっての好ましさとして表現されていたのだ。なるほど、学生たちは「柿」「梅」「林檎」「梨」が、身体にいいのだと知識では知っているらしい。その一方で正答の「柿が赤くなれば医者の顔は青くなる」に込められているような、「柿が赤くなると医者にかかる人が減って儲けがなくなる」という庶民の医者を揶揄する思いは、現代の学生には想像がつかなかったようだ。医者は患者の健康を祈るものだという建前をそのまま素直に慣用句に当てはめている。そんな慣用句なら、長い間、庶民の間で伝えられてくるわけないでしょ、と突っ込みたくなった。でも、現代はそういう生活感情とは縁遠い時代なのだ。慣用句を伝え繋ぐことで先人の知恵やユーモアを受け継ぐ必要は確かに、もうないのかもしれない。でもね、だからこそ、と来週の授業準備をせっせとしている次第。
村中李衣
