エッセイを読む

2020年02月

とくべつな日のなんでもないこと

 受験シーズン。教員も、試験問題の作成や会場設営、非常事態のための動作確認、監督、採点、合否判定と、受験生と共に緊張の日々が続く。ボヤっとしていて詰めの甘い私などは、この時期がやってくると、失敗をやらかし大騒動になる夢を繰り返し見る。

 風邪をひいてはいけない、床をコツコツ踏んで歩いてはいけない。刺激を与えない穏やかな服装で。でもラフすぎてはいけない。問題用紙、解答用紙、ゆめゆめ間違えた配布をしないように。・・・こんなことを気にしながら、試験当日は1科目90分近い時間、教室の片隅でよい姿勢のままじっと受験生の様子を見守るわけだ。これが1日中繰り返される。

 今年は地方会場での試験監督を命じられ、2日間広島で受験生たちの様子を見守ることになった。指定された教室には、朝8時過ぎから女子高生たちが静かにやってくる。席に着くなり背伸びひとつあくびひとつするではなく、カバンを開き教科書や参考書やノートを出す。前かがみの姿勢はぐっと深くなり、試験開所のその瞬間まで無言の重苦しい時間が流れる。試験開始直前には、机の上には受験票、筆記用具、目薬、袋から出したティッシュペーパーと、最小限のものしか机上に置かないよう指示が出る。違反がないかどうか机間巡視をするのだが、黄色い小さなお守りを置いている子がいたので、片付けるよう合図をすると「消しゴムです」と消え入るような声が返ってきた。指で触ると、なるほどよくできたなんちゃって消しゴム。いつもならアハハで済むことが、受験生を動揺させたりもするから要注意だ。よく見ると、一本ずつの鉛筆に滑り止めの輪ゴムが巻かれていたり、ガーゼ生地の握りやすそうな白いハンカチの隅に控えめな刺繍が施されていたり。あそこにもここにも、せめてものという心配りがある。面接試験の時はほとんどの生徒の靴がピカピカに磨かれているのだが、筆記試験の日は、靴底に敷かれたカイロが目立つ。セーラー襟の後ろ側がめくりあがったまま数学の方程式と格闘している女子高生がいる。答案用紙をにらんだまま胸ポケットから黒ゴムを取り出し、前髪をキュッと縛り上げる女子高生がいる。前髪はおっ立って刈りあげられた田んぼのよう。今どき高校生と言われながらも、こんな風になりふり構わぬ時間を生きているんだなぁと、ちょっと胸が熱くなる。冗談じゃない、だれが好き好んでこんな時間を!とかみつかれそうだが、自分のためだけに没頭できる時間を持てること自体がまれなことなのだと歳をとると気づくものだ。

 「やめてください」。合図の声でペンを置くと、ほおっとため息が漏れ、黒ゴムをほどく者、スカートの消しゴムカスを払う者。ゆっくりと彼女たちの日常が戻ってくる。ご苦労様。

 突然話がとぶが、靴を脱いで建付けの悪い木の扉をカランと開けると、もうそこから先は自分のためだけに没頭できる場所。そして、他者にすり合わせる必要のない自立した個々の時間を、ひろばスタッフが細心の注意とおおらかさをもって見守ってくれている。いやあな受験と楽しい読書をいっしょにするのも変な話だが、特別な時間はいつもなんでもないことに支えられ成り立っている。日頃は探している本のことに気を取られすぎ、自由奔放にふるまえる広場があること自体の幸せを忘れがちだが、つまりはそういうこと。

 3月、こどもの広場は40周年の節目を迎える。なんでもない喜びの日々をありがとう。

  

村中李衣

いままでのエッセイを見る

バックナンバー

村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

ひろば通信には新刊の情報やこころがほっこりするエッセイが盛り沢山!