エッセイを読む

2021年06月

あんたがたどこさ

 夏の畑で、名前を覚える気にもならない、いわゆる雑草たちと格闘するようになって久しい。
 
 お目当ての野菜やハーブを育てることに夢中の私にとって、その野菜やハーブのまわりに生えてくる雑草たちはすべて「じゃまもの」であり、「ずうずうしいやつら」、なのである。

 知人にいただいた鱗茎を去年の秋に植え、冬超えを見守って、すくっと地上に伸び始めたヤマユリに大喜びしていると、そのそばには、実によく似たスリムな葉を広げ、うそっこヤマユリが風になびいている。あんまり似ているので、しばらく気づかず、せっせとそいつを見守り、ご丁寧にまわりの草たちを抜いてやったりもしていた。

 醤油漬けをしようと楽しみに見守ってきた青じそたち。一番成長が早く元気な葉っぱを広げ始めたリーダー格の青じそのまわりに「ぼくも」「ぼくも」「ぼくたちも」と集まって芽を出してくる幼い青じその群れ。かわいいねぇ、ほほえましいねえと毎日水を上げて育てていたんだけれど、ある日、あれ?ちょっと待って、と気がついた。いつまでたっても、葉っぱのまわりがギザギザしてこないのがいる。あなたはだあれ?一枚摘んで指先で揉みしだいてもさっぱり香りがしない。青じそのふりしてリーダーにまとわりついていたのは、ミズヒキだった。花が咲けばすぐにわかるけど、葉っぱだけのうちは、そっくり。だまされた。

 愛らしい勿忘草が、けなげに冬を越し、庭の一角に咲き乱れると、その中心部に、わたしはとりわけ背の高い勿忘草姫なの、といわんばかりにすまし顔で生えてるスギナ。

 蛇除けにと、藤棚の足元に植えた和ハッカたちは、1年2年とたつうちに、少しずつ葉っぱの姿を大きくしていき、いまでは、どうみても藤のはっぱ。きっと自分でも藤の葉っぱのつもりで、来年あたりは蔓でも伸ばして、蛇に巻き付くんじゃないかという勢い。

 みんななりすましによって、無造作にひっこ抜かれないように戦略を練っているように見える。みんな置かれたその場所で根を生やすためだ。私にどんな悪態をつかれようが、そこが、その場所が彼らの生きる場所なのだ。もちろん、動物だって近縁の動物になりすまして敵から身を守ったり、擬態によって捕食者を威嚇したりといろんな生存戦略を持つことは知っているけれど、ず~っとそこに居続けるわけじゃない。動物は移動していくぶんだけ、融通が利く気がする。

 さっきまで邪魔者扱いしていた私が言うのもなんだが、雑草のいちずな生き方、弱さゆえに強い覚悟を持つその生き方に、リモート授業でくじけそうな心を励ましてもらったことも事実だ。

 気を許せばすぐにはびこるメヒシバを片っ端からぶちぶちっと引っこ抜いたつもりが、「どうぞどうぞ。うちら、節だけ居残りゃ、どうにだって生きてゆきます」と夏風に紛れてメヒシバは笑う。悔しいような、あっぱれなような・・・悩ましい畑歳時記。

村中李衣

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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