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2023年04月

ケアのやりもらい

連れあいが、草刈の途中で山から足を滑らせ、落ちた。右肩の腱3本が断裂し、手術・リハビリとかなり長期間の入院を余儀なくされた。必然的に、私はだだっ広いお山の小屋で週末一人住まい、ということになった。これは、寂しいとか何とかという情緒的な話ではなく、今までとはレベルの異なる生き物たちへの警戒心と危機管理能力が求められることとなったのだ。まず、コンポストに投入できる範囲を超えたゴミを極力減らす必要が生まれた。山小屋にはゴミ回収車が来ないので、出たゴミはすべて自分で何とかするしかない。次に、男手がいないとわかるや否や態度を変え襲ってくるカラスたちに見くびられないよう、威厳に満ちた出入りをしなければならない。こそこそちまちま動いたりしようものなら、急降下してきて頭をつつかれそうになる。まだあるぞ。暗くなったらいつ何時現れるかもしれないイノシシや蛇やそのほかの獣たちの足音に、家の中に居ながら耳を澄ます必要もある。うっかり無防備にドアを開けたらとぐろを巻いた冬眠明けの蛇にバッタリご対面!ということも何度かあった。今回はギャー、助けてーと騒いでも、誰も助けになんぞ来ないことを覚悟しなければ・・・と、ここまでは想定内であったが、ほかにも、底冷えのする夜に突然床暖房の装置が壊れ、何本ものペットボトルにお湯を入れて身体を囲むしかなかったり、アルミドアの中にハチの巣ができているのを知らず大群に襲われたり、どこからともなく滑り込んできたヤモリたちと追いかけっこをしたり。そのたびに、泣きそうになったが、しかし、実際は泣かなかった。泣いてもどうしようもないとわかったら、人間は意外に「たすけて~」と叫ばないし泣きもしないもんなんだなぁとわかった。

もうひとつ、今回、わかったことがある。それは、シンプルだが「相手の立場に立って声掛けをする」ことの尊さについてだ。連れあいは日常から便秘に苦しんでおり、入院でそれが悪化しないようにと、毎日バナナを2本とヨーグルト、そして納豆2パックを差し入れするよう頼まれた。想像してほしい、毎週、賞味期限とにらめっこしながらバナナ14本、ヨーグルト3パック、納豆14パックを運び入れるのだ。かなり大きく重い荷物。本人との面会は許されていないので、毎回病棟の看護士さんを呼び出して、荷物を預けることになる。

申し訳なさいっぱいになりながら、恐る恐るでっかい紙袋を差し出す私に、ある看護師さんはいきなり、「うわっ、重っ!」。もう恥ずかしさで消え入りたくなる。ところが、ある看護師さんは受け取った瞬間、笑顔で「わ~、愛がたっぷりですね」。愛なんてこっぱずかしい言葉、洗濯物に丸めてカバンの底に突っ込み持ち帰っていた私でも、この時ばかりは胸に抱きかかえたくなるほど、あたたかく響いた。感謝の気持ちを伝えると、その方は「面会もできずもどかしい気持ちに違いないご家族の方と患者さんの心を結ぶお手伝いがちょっとでもできたんだとしたらこんなに嬉しいことはありません」と涙ぐまれた。(あぁ、ケアって一方向ではなく双方向のやりもらいなんだなぁ)と、しみじみ教えられた次第。

そんなこんなを経て、昨日ようやく、山小屋の主が帰還。途端に、わたしの危機管理アンテナは感度レベルを落とし、もうちょっとで俊足ムカデにやられるところだった。せっかくなので久々に「たすけて~」と大声をあげてみた。

村中李衣

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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