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2021年02月

胸を張って学び続ける

ちょうど5年前『みんがらばー!はしれはまかぜ』(新日本出版社)という絵本を出版しました。ディーゼルターボエンジンで走る「特急はまかぜ」は、2010年まで大阪と鳥取の間を走り続けましたが、その役目を終え、解体される寸前にミャンマーから声がかかり、下関の港から船でミャンマーに渡りました。「はまかぜ」のパワフルな走りが坂道の多いミャンマーの鉄道路線に活躍されることを期待されてのことです。毎日日本海の潮風を受けて走っていた「はまかぜ」が、瀬戸内の海を眺め、トレーラートラックに載せられ、港から船に乗って異国の地に向かったんだと思うと、その冒険に胸が高鳴り、当時「はまかぜ」に関わったいろんな方を訪ね、資料を集めながら絵本を仕上げました。この絵本をミャンマーで図書ボランティアをなさっている方目にとめてくださり、ヤンゴン日本人学校の小学生たちとの出会いが生まれました。絵本で「はまかぜ」の事を知りぜひその活躍の様子を見届けたいと、実際に子どもたちが社会見学で「はまかぜ」に会いに行ってくれるようになったのだという話も聞きました。そんなこんなの嬉しい出来事を重ねながら、昨年、コロナ禍で対面授業ができなくなったヤンゴン日本人学校3年生の子どもたちが、リモートで「はまかぜ」の研究授業を自分たちで作り上げていることを知りました。3年生は総勢7名で、親といっしょに日本に戻った子どもたちとミャンマーにとどまった子どもたち、そして事情があってタイにいる子どもと、3か国をまたいでの研究授業です。しかも担任若い女性の先生は、本来なら昨年4月にミャンマーに赴任し現地で初めて子どもたちを受け持つはずだったのに、その機会を絶たれ今現在まで一度も直接子どもたちに会えていないとのこと。郷里の鹿児島で待機しながら、毎日3か国を一つに結んで授業を進め担任を務める1年間。そのご苦労は想像するに余りあります。事情を聴いて、私も微力ながら応援隊を買って出ました。応援隊と言っても「発表会当日」、パソコンのこっち側で手を振るだけでしたが。

さて、彼らの、国をまたいだ研究発表会はいかに?一か所に集うことができず、ネットの中でしか話し合えないのに、共同研究は出来るの?私の心配をよそに、彼らは、ミャンマー鉄道の方にインタビューしたり、日本とミャンマーの列車譲渡の歴史を調べたり、実際に路線を確認したり、いろんな「知りたい」を、自分たちの目と耳と足を使って「わかった」ことを堂々と伝えてくれました。発表を聴いているうちに、嫁に出した娘のその後の暮らしを初めて聞かせてもらう老親の気持ちになっていきました。そして、どんな困難があっても「自分たちの手でやり抜く」子どもたちのすごさと、リモート画面の端っこに写る、先生の、子どもたちを信頼し見守る真剣な表情に、教育の可能性を目の当たりにした思いです。

あれがないこれができない、ではない前向きな学びの根底には、「仲間を信じる強さ」があります。子どもたちが発表の最後に「実は、はまかぜは、もうヤンゴンで一車両も走っていないんです。故障が多くて、その故障をミャンマーでは修理できないのです。技術も部品を買うお金もなくて・・・元気なはまかぜの姿を村中さんに伝えられなくてほんとうに、かなしいです」と伝えてくれました。その「ほんとうに」という声を聴いた時、子どもたちの偽りのない気持ちが、まっすぐ伝わってきて、涙がこぼれました。

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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