私が永年通い詰めた、厚狭にある漢方調剤薬局と鍼灸院が、9月で閉院と決まった。昨日その知らせを受け、どうしようもないほど動揺している。
ここ数年、ご体調が優れず闘病と診療・治療を併行して続けておられた院長先生を支えながら、スタッフの皆さんが誠意ある営業をなさっていたので、この知らせは胸のつぶれるような思いだ。院長先生は、患者さんおひとりずつを全人格で受けとめ、目の前に現れた症状だけでなく、その人がいまここに在ることまるごとを包むような処方・治療を続けてこられた。どんな人もその公正で温かいまなざしに触れるだけで安心し、苦しみは軽減した。
私はというと、アトピーと自律神経失調と、腱鞘炎と胃の虚弱体質と、腰痛と、免疫力低下からくる様々な不調と・・・なにもかも全部、先生のお世話になっていた。弱くて病の問屋であるにも関わらず、眼科・歯科以外、ほとんど病院に行かずにすんでいたのは、ひとえに先生の健康管理のおかげだ。「他者に診てもらうという心持を少しずつ減らして、自分で自分の体を看ることができるようにしていきましょうね」と言われ、そのようにも努めてきた。思えばこうした自分の身体との付き合い方を教えてもらったことが、仕事をする上でのいろんな考え方の礎になってきているのかもしれない。
母がクモ膜下出血で倒れた時も、先生はわざわざベッドサイドで鍼灸の治療をしてくださった。寝たきりの母に対する毎日の小さな身体の養生の仕方も丁寧に教えてくださった。それを頼りに最期の時まで褥瘡ひとつなく心尽くして送り出せたことは、感謝してもしきれない。そしてそんな介護の日々に対し、心の整理をつけることができたのも「哀しみは逃れるものでなく得るものなのかもしれないよ。哀しみの中から掬い上げるものほど、純粋で強いものはない。大事にしましょうね」という先生の言葉があったからだ。
昨日、薬局に足を運んだら、スタッフの方々が「これまでの診療録はすべてお渡しします」と言ってくださった。30年以上にもわたる私のいのちの記録である。それが、預かってくださっていた先生のもとを離れて私のもとへ戻ってくる・・・絶対の支えが抜けるような、心もとなさに、泣きたくなった。でもこの哀しみは引き受けるしかない。どんなに頼りない私であっても、私が私を生きるしかない。そう30年以上かけて、先生に教えていただいてきたのだから。
先生はこれからも、患者さんからご自身へと治療の対象を変え、信じる漢方医学の道を、歩み続けていかれることだろう。そのご成果とご回復を祈りあげます。
誰よりも素晴らしい教えをくださった橋本英信先生、そして、えいしん堂薬局のみなさん、ありがとうございました。
*『哀しみを得る』(かもがわ出版)は、先生の言葉をタイトルにさせていただいた本です。
村中李衣