緊急事態宣言解除まで、大学の授業は、9月末から3回分、リモートが続いた。
その中でまずは、約60人の授業でのこと。「みんな顔出ししてねぇ〜」と促して、少しでも気分が明るくなるように、最初に、「おつむはてんてんてん・・・」という、からだを使った遊び歌を紹介した。この歌ご存じだろうか?いろんなバージョンがあるとは思うが、
♪おつむはてんてんてんおめめはぱちぱちぱちおくちはあわわ…と続いていく。ひととおりやってみせたあとで、「はい、じゃあ○○さん、どうぞ」と指名すると、え〜!と画面越しに戸惑いを見せた後、恐る恐る歌い始めた。
「最初は・・・ここからですよね」と頭を指さし、「♪あーたーまーをペシペシペシ」。
なんと、自分の頭をひっぱたくしぐさをしたのだ。「あらら、強烈だねえ。やさしくてんてんてんしてみて」というと、困った表情。どうやら、「てんてんてん」という言葉を聴いたことがなかったようだ。知らない言葉にはついていけないけれど何やら先生頭をたたいていたぞ、と思って、彼女なりに想像力を働かせた表現だったのだ。「おめめはぱちぱちぱち」はクリアしたが、次の「おくちをあわわ」がまた、意味不明だったようで「♪おくちをあ~ん」と言いながら、そのあと「もぐもぐもぐ」と食べるしぐさを付け加えた。あわわも、彼女の幼少期の遊びの中にはなかったらしい。
結局「おつむてんてん」という表現を聴いたことがある学生は、60人中半分以下だった。乳幼児期に大人にからだを触ってもらいながら、やさしい声であやしことばをかけてもらう経験がほとんどなくなってきている。幼い頃から赤ちゃん語など使わずにきちんとした日本語で語りなさいとまことしやかに言われて消えていったものの一つだろう。あやし言葉の中には、意味だけでなく語るものの情愛や「触れ合い方の手加減」が込められている。こうした感情語は文字を通してだけでは伝承されない。世代を繋ぎ人が人に愛をこめて授けていく言葉が失われてきていることに改めて危機感を持った。
次に日韓関係を学ぶ授業でのこと。韓国人の先生の流ちょうな日本語で、近い国だからこそ仲良くなりづらい理由について、歴史的背景が説明されていく。受講生の殆どが、韓流好き、韓国のコスメ好き、韓国の食べ物美味しい・・・と極めて軽いノリで受講を決めているので、目の前に突き付けられる多くの資料やリアルな韓国の反日感情について、(まさかそこまでとは思わなかった・・・)と呆然。画面から伝わるそんな空気の中で、先生が「旭日旗問題についてもね・・・」と話されると、全員(ん?キョクジツキ?)という表情。韓国では小学生でも「ウギルギイ(旭日旗)」という言葉にはすごく敏感なのにと、先生もしばし呆然。けれど、旭日旗が何かも知らなかったとはいえ、こちらの方は何が問題なのかに耳を傾けると、ひとりずつが、無知であった自分を超えることをためらわず真剣に考え始めた。
知らないこと、経験のないことの中には、後戻りできないことと、今その時点からでも知る意味を持つものの両方がある。そしてその両方の危機の只中にいる若い人たちに接していることをもっと真剣に考えるべきだと、結局は自分のところへ課題が舞い戻ってきたというわけ。さあ、明日から対面授業だ。