昨年12月、こどもの広場主宰・横山眞佐子さんに、岡山まで足を運んでもらい、1年生に向けて児童文化論の特別講義をお願いした。
誰もが良くご存じの通り、1979年児童書専門店を山口県下関市で創業以来、作家と読者を結ぶ講演会や美術館での絵本原画展の企画をしたり、各地の小・中学校で図書室に入れる本を子どもたち自身が選ぶ「選書会」を長くおこなってきたりと、常に子どもと子どもをめぐる文化を支えてきた女性だ。いつものことだが、出たとこ勝負で講義の内容についての打ち合わせはなし。面白くないわけがないからだ。ところが今回のおはなしは、いつもの軽やかさといたずら心がこそばゆくないまぜになった話しぶりとはちょっと雰囲気が違っていた。
日本で「子どもの本」が浸透していった歴史を紐解いた後、「読みあい」の意味を語りながらその歴史のはしっこにきゅきゅっと結んで見せた。そして、そこからちいさなひみつの「ほころび」を手品のようにことばで見せたかと思うと、1冊、2冊と全くタイプの違う本がそれぞれの秘密を物語に孕ませながら静かに繋がっていく。おおっ、だれもが手に取って読みたくなる横山流ブックトークに突入だ。そして、読みたい、買ってでも読みたいとみんなの心が騒ぎだしたところで、長年にわたる選書会の記録が写し取られたスライドショーが始まった。真剣にブックトークに聴き入る子どもたちの表情、友達と顔をくっつけ合って1冊の絵本を味わい尽くす表情・・・。まるで教室のこちら側から選書会の会場までものがたりの通路が開かれていくような自然な解説。コロナで入学以来たくさんの対面授業をあきらめてきた1年生たちだが、今年の最後にこんな時間が持ててよかった。この時間の奇跡を彼ら一人一人が紡ぎ出す子どもたちとの奇跡に繋げてほしいなとしみじみ思っている私。気分はもう授業のハッピーエンドに向かいつつあった。ところがそこで終わらなかった。
横山さん、マスクの位置をもう一度整えた後、選書会のすべてのシーンをレンズを通して捉えてこられた写真家吉岡一生さんの心の眼について語られ始めた。いまそこにあるものは、「そこにある」だけではないという事。瞬間を切り取る作業は「瞬間」だけで作られてはいないという事。シャッターチャンスというが、チャンスは、継続した思いと長い時間の中で被写体との対話、理解しようとして理解できずにいることをあきらめずに問い続ける姿勢なしには訪れない事を、ひとことひとこと、噛みしめるように口にされた。その言葉を受け取りながら、長い長い道のりを伴走しあいながら、人間と人間が互いを敬い進む姿の行きつくところを目の当たりにした思いだった。思わず「未来の保育者さんたちへの愛のことづてのようなお話でしたね」と感激して言ったら、あとで、横山さんに「これでおわりみたいじゃん。来年も来いっていうんじゃなかったけ?」とつっこまれた。
でも、伝えるべきことを伝えられる時に、心尽くして伝えておく時期に来ているんだなと、世の中全体を見渡しながら改めて思ったのでした。横山さん、ありがとう。
*横山さんと吉岡さんと本と子どもたちとの奇跡のコラボは『本をえらぶ日』—吉岡一生・写真—にあります。ぜひ、手に取ってみてください。
村中季衣