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2020年12月

樹のおじさん

年の暮れ、広島の街に降り立つ用ができ、ひろしまドリミネーションで美しく彩られた市内中心部の通りを歩いた。このイルミネーションは今年で19回目ということで、様々な世代の人が、楽しそうにあちこちのライトアップを眺めていた。今年は特に、それぞれいろんな思いがあるんだろうなと思いながら、ゆっくり歩いていると、黒い木肌を見せる一本の街路樹の周りに小さい子どもたちが集まっていることに気づいた。何かなぁと思って近づいてみる。案内板によると、この場所で定期的に<グリーンウッドマン>と称される樹の精霊が姿を現すとのこと。プロジェクションマッピングによる人気の演出らしい。ふうん、そうなのかぁと納得しかけた時、いきなり目の前の樹にぬおっと顔が現れた。

<グリーンウッドマン>の登場だ。グリーンウッドマンは、別の場所から流れてくる音声にあわせて、顔をゆがめたりおどけてみせたり実に表情豊か。大人の目から見れば、すごくよくできていると感心するのみ。「ほうら、でたでた」と子どもたちの親が拍手といっしょに、子ども達を前の方へ押し出す。子どもたちは、反り返って目の前のウッドマンをみつめる。暗い中に浮かび上がるその様は、幼い子どもたちにとってはどんなにか怖いだろうなと思った。ところが、そこにいたちいさい人たち、どの子もどの子も、だれ一人泣きもしないし、親にしがみいたりもしない。だからといって喜んではしゃぎまわるわけでもなく、テレビのアニメかゲームの画面を見るような感じで、平然と、当たり前のようにウッドマンのおしゃべりを聴いている。さまざまなバーチャルリアリティの世界に日頃から慣れ親しんでいる子どもたちの目には、樹に映像が映し出されたぐらいでは、新手の劇場版アニメか巨大ゲームくらいにしか映らず、恐怖の対象にはならなかったのかもしれない。

恐怖の対象といえば、今から約30年前、娘はテレビの幼児向け番組の等身大人形劇「にこにこぷん」に出てくる<カシの木おじさん>を何より恐れていた。居眠りの得意な樹齢200年の大木で、にこにこ島の守り神的存在だった。決して悪役ではなかったのに、娘はカシの木おじさんが画面に現れた途端、恐怖で顔を引きつらせ、床に突っ伏して「もういない?」「もうおじさんいない?」と泣きながら聞き続けた。そして、その恐怖はすべての者に共通すると考えたのか、抱っこをせがんでも抱き上げてもらえないようなことがあると「(抱っこをしてくれないと)木のおじさんが来るよ~~!」と私を脅してきた。子どもはアニミズム的世界に生きているといわれるが、その子なりのアニミズム的世界で許容する生き物のありようというのは、一様ではない。身近な植物に語りかけることはできても、想像以上の巨大な自然物に命が吹き込まれることへの畏怖も同時に抱いているのではないか。

2020年、コロナ禍で、自粛自粛と行動を制限された大人たちは、そのストレスを発散させるかの如く、極端な刺激を求めて仮想世界にのめりこむ。アニメに異様に熱狂する大人たちの消費行動が、停滞する日本経済の中、稀有な経済効果を生んだりする不思議な世の中。闇夜の中でしゃべり続けるウッドマンと、無表情でその前に立つ子どもを、楽しそうにスマホで撮影する親たち。いいのかなぁ、いいのかなぁと思う一方、「木のおじさんが来るよ」と抱っこをせがんだ娘の恐怖をわかってやらなかったおバカな自分をも反省した夜でした。

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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