エッセイを読む

2022年11月

海峡を越えあって

 大学の全学科向け授業として、〈自立力育成ゼミ〉というのを開講している。最初の年はそれぞれが課題をもって韓国現地実習を行い、それをもとに、社会を見る自分なりの窓をもつにはどうしたらよいかを考えあった。いろんな成果や反省を得て、翌年さぁ、と思ったらコロナ禍に見舞われ、現地実習は2年間お預けとなった。そして迎えた今年、関係良好な韓国の大学に話を持ち掛け、双方の大学生がオンラインで繋がり、「文学」をテーマに交流し合ってみたらどうかと提案した。ところが、いざ準備を進める段階になって、交流事業は歓迎だが、「文学」をテーマにしたのではきょうびの韓国学生は興味を持ちにくい。参加者を募れない。テーマはもっと現代的なものにと韓国側からいきなりの申し出。大学に入るまでの日本とは比べ物にならない過酷な受験戦争のことは知っていたが、大学に入っても実学的な学びそれも時流に乗った就職に結びつくような学び以外に関心は薄いとはっきり言われ、さてどうしたものかと頭を抱えた。こちら側の学生メンバーの多くが郷土の児童文学作家坪田譲治の思いを現代の子どもたちに伝えたいとあれこれ地道に模索を続けていたので、「そういうのは韓国じゃもうはやらないらしいよ」とは告げたくなかった。

 困り果て、藁をもつかむ思いで相談したのが、山口で教員をしていた当時学生だった詠子ちゃん。彼女は今や韓国語と日本語を教える立派な先生だ。彼女は話を聴き終えると「いやきっと文学をキーワードに日本や日本人を理解しようとしてくださる先生は韓国にもいます」ときっぱり。そして、素晴らしいおふたりの先生を紹介してくださった。日本語を学ぶ釜山外国語大学の学生たちを育てておられる日本人の先生方で、なんとそのうちのお一人は、ノートルダム清心女子大の卒業生でいらっしゃった。宮沢賢治の詩を朗読させたり日本の昔話を語らせたり、単に語法の習得や発音をチェックするだけでなく、言葉に込められた抜き差しならない想いにイメージを馳せるというトレーニングを丁寧に積まれていることがわかり感激した。

学生同士で複数回の打ち合わせを重ねた後、交流会本番の様子は外部へも公開し、日本側からは坪田作品の紙芝居上演&ペープサートシアター。韓国側は韓国の昔話の日本語朗読と立体紙芝居が披露された。そしてその後、『あららのはたけ』を岡山から釜山に引っ越していった少女と岡山に残っている少女との海峡を越えた手紙のやりとりに変え、相互に語り合った。なんといっても韓国語で語られたえりの「韓国で守り育てているおばあちゃんの畑」の様子が素晴らしかった。ハングルを正確に理解することは日本側のどのメンバーにもできなかったはずだが、会場にいたすべてのものに、亡くなったばあちゃんを思う家族の気持ちやばあちゃんの思いを受け継ごうと畑で奮闘するえりの気持ちが、ぶれることなくまっすぐ声を通して伝わってきた。えり役を担当した韓国の学生は「日本にいる友達の、おばあちゃんに対する気持ちを聞いたことがあって、その友達の気持ちを思い出しながらえりという少女をつくっていきました」と終了後に教えてくれた。文学は、今を生きる力に、過去を今につなぐ力に、そして明日を紡ぐ力に無縁ではないと確信できた。この交流に尽力くださった詠子ちゃんをはじめ、すべての皆さんに感謝。カムサハムニダ。


『あららのはたけ』
偕成社

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

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