災いは慣れたころにやってくる。最初は嫌だできないと抵抗していたリモートの授業も1年たてばそれなりになんとかやりこなせるようになってくるもんだ・・・と思い上がりかけた昨日、zoomの授業開始直後に、私からの音声がまったく学生たちに聞こえなくなってしまった。山口の山の中にいたため、だれにも助けを呼べない。受講生たちは昨年度の入学生で、対面での授業をしていないため、顔と名前が結びつかないし彼らの携帯番号も知らないから、連絡の取りようがない。「せんせい、声が聞こえませ〜ん。」と向こうからの声だけがむなしく響く。そうだ、いた。ひとりだけ、ゼミ生のヒカリちゃんが授業に参加してるんだった。焦りまくって彼女の携帯に電話。「おねがい、30分だけ、場をつないで。そのあいだになんとかするから!」「ええええ?」彼女の動揺がビンビン伝わってくるけれど、ここはもう任せるしかない。「卒論で何をやっているのかとか、教えて先輩のコーナーにするとか、どんなことでもいいから頼む!」そして私は、大学の情報センターに電話してみたり、設定をやり直してみたり、別のパソコンで入り直してみたり・・・もう汗だくであれこれやってみた。あんまり汗が出るので、思わずブラウスを脱ぎかけて、そうか姿は映るんだったと思いとどまる。25分経過した時点で、復旧はあきらめた。レポート課題を出して授業を取りやめるしかないか・・・と思いながらパソコンの前に座り直し進行中の画面をのぞきこんだ。すると、zoom画面アップのヒカリちゃんが、さわやかな明るい声で、「そうかぁ~、そういう気持ちわかるよ、うんうん」とうなずいている。どうやら「かわいい」という言葉を日常でどんなふうに使っているか、全員に聞いているらしい。よくよく見ると、手に清水真砂子さんの『大人になるって面白い』(岩波ジュニア新書)を握っている。たまたまカバンの中にこの本が入っていて、書いてあった若い人の「かわいい」発言についての言及を思い出したのだろう。必死に問いかけ、誰のどの発言も取りこぼすことなく受け止めようとしている姿に胸が熱くなった。それが児童文学の授業内容にふさわしいかどうかなんてどうでもよくて、それよりも、彼女の必死さが次第次第に参加している学生全体の姿勢を変えていくのが手に取るように分かった。先輩に受け止めてもらえているという安心感が、ハプニングに守りの姿勢をとっていた一人ずつを開放していったのだと思う。よし、このまま授業を続けてもらおう。そして私も「声の出ない参加者」として、チャットで迎え入れてもらおう、と決めた。面白いことに、途中からもうひとり、私と同じように自分の声が届かなくなった学生がいて、彼女もすうっとチャットでのやり取りに加わった。最後に「もしみんなが今日の先輩みたいに突然先生になんでもいいから場をつなげてと無茶ぶりされたらどうするか?それから、もし突然村中みたいな状況に陥ったらどうするか?」という問いをチャットで流した。苦笑いしながら、でもみんな、真剣に考えてくれた。彼らの答えは、「ほんと、ありえない・・・と思うけど、実際思ったけど、みんなのことを信じてさえいれば、もしかしたら、今日みたいな時間が作れるかもしれない。」「今日の経験をしたのとしないのじゃぁ、全然違う。」「みんながチームみたいになったから乗り切れた。」「ピンチもチャンスにできた。」聴きながらいつの間にか村中の事件がみんなの事件に、そしてみんながチームに変わっていったんだと実感した。ヒカリちゃん、みんな、ありがとうね。

村中李衣

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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