12 月最初の金曜日、岡山に横山さんが来てくれた。児童学科の「児童文化論」と司書教諭資格のための「読書と豊かな人間性」という二つの授業の特別講義をお願いするためだ。ここ岡山の大学に勤めてから、年に一回、豊かでしみじみ本に関わる幸せを感じることのできるおたのしみの時間だ。
今年も、横山さん、忙しさの中をかき分けてふらぁ~、と前日岡山入り。レアな奉還町商店街をぶらぶら歩いて私と待ち合わせ・・・のはずだったが、ただの一本道というか、アーケードの中なのに、大きくすれ違った。それでもなんとか巡り合うと、まったくもうどこ行っちゃったの!の思いはすぐに吹っ飛び、ふたりとも嬉しくってしょうがない。じっくり会える機会がないので何から話していいかわからず、結局肝心なことは何一つしゃべっていないような、もちろん明日の授業の「段取り」も「ねらい」もぜぇ~んぜん頭になく、ただただ笑いあっていた気がする。おまけに、そのことを、どちらもさっぱり気にしてないのがおかしい。
さて、翌日。あれほど「正門前で」といったのに、「東門」から入り狭いキャンパスの中わざわざ迷ってしまう横山先生。思いもよらぬ方角から緑色のワンピースに緑の葉っぱブローチ、緑の眼鏡で、にこやかに手を振っている。時間はなくなり、慌てて教室へ。
ところが、教室のみんなを見回し「みなさん」と声を発した瞬間、彼女の静謐なものがたりに立ちあう姿に、教室が一変する。
『だいふくもち』(福音館書店)に託された田島征三の権力や私欲の側に決して寄りかからぬ思いとその思いに正面から触れる子どもたち。「絵本と出逢う」とはどういうことなのか、やはり今年もいのちの真ん中を揺さぶられる授業だった。
お昼を挟み、午後の授業の時間が来た。受講生が異なるので、同じ話をしてほしいと告げたが、予想通り、同じ本を手に持ち、同じ選書会の写真を見せても、横山さんの胸の奥からこぼれ出るおはなしは、異なるまなざしと異なるメッセージを見せてくれた。
「無駄な話の中にこそ大事なものがある。無駄でないことをと選ぶ心の中に、弱者を切り捨て、自己の欲に翻弄される罠がある」というようなことを、彼女は自然体の中で、訥々と語り続けた。私もボ〜ッと聞きほれる。そして思う。
いつも彼女の中には、ぶれない「社会」がある。その「社会」は、彼女の柔らかさやしなやかさ、軽やかさやユーモアゆえに、他者には気づきにくい孤独がつきまとう。でも、その孤独を気づかれぬようにひりひりと背負っているからこそ彼女は物語の手渡し手という天職を得たのかもしれない。
最後に学生たちは受講の感想を自分の創った4 文字熟語(造語)で表現した。
「書憶不朽」「人居本在」「選書吸心」「本世遊泳」「無駄有益」「自選輝本」「横山緑色」
どれも、気持ちが伝わってくるよね。
あ~、毎年毎年、ありがとうございました。
『だいふくもち』
福音館書店
村中李衣