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2021年03月

腰にまつわるお話

この季節は私にとってご用心のとき。生き物が冬眠から醒めて、さてこれからどうしたもんだかと、ゆっくり体調を整えるべき時期に、調子に乗って動き回るもんだから、トラブルを起こす。今年は、激しいぎっくり腰にやられた。これまでは、あいたたた・・・で2~3日用心すればじわじわと治っていたのが、今年は訳が違った。冷凍漬けの芋虫のごとく、カチンと丸まってそのまま1ミリも動けない。手をついて起き上がれと言われても手を動かすだけで腰に激痛が走るのだ。トイレになんかどうやって行くの。もうありとあらゆるものを布団のまわりにおいて、空も海もない真っ暗な生活が一週間以上続いた。そして考えた。

「腰」っていう文字は、「にくづき」に「要」と書くだけあって、からだの要所だよねえ。日本の身体文化の中心軸として斉藤孝が「腰」に注目してたけど、見渡せば「腰」がつく表現って日本に多いよなぁ。「腰が引ける」「腰が抜ける」「腰砕け」「弱腰」「逃げ腰」「及び腰」「腰を折る」「腰が軽い」「腰が弱い」・・・結局「腰」がしっかり機能していないと精神的にも情けない状態になるようだ。では韓国はどうかなと娘婿に聞いてみたら「秋のエビは老人の曲がった腰もまっすぐにする」という表現(これは秋のエビはそのくらい美味しいという意味)と、「腰の折れた将軍」(調子に乗りすぎて失敗した人の事を指す)、あとは、労働がきついことを「腰が曲がる」(そのまんまだ)というくらいだと答えが返ってきた。では英語ではと調べてみると、日本でいうところの「腰」は、back,waist,hipの3部位に分かれて表現されるらしい。どうやら、部位を超えてそこに精神性を見ようとするのは、日本独自のものらしい。そんなことを丸まったからだで考えていると、ガチャガチガチャッと音がして合鍵を持っている友人が部屋に勢いよく入ってきた。そしていきなり「これをはかれぇ」と、特製腰痛ベルトを差し出した。「こりゃあ、ひでぇぎっくり腰をやった知り合いがようけおって、実証済みじゃからりえさんもやってみられぇ」と、なんとも腰の強いすすめ。「このベルトのええところはな、装着したまんまトイレができることなんじゃ。下着の下につけるんで。そして、ずりあがらんように太もものところにもほれ、このベルトをきっちり巻くようになっちょるんじゃ」と言いながら、友人は、さっさと履いていたズボンを脱ぎ始めた。「わかるようにやって見せんといけんじゃろ。そいでもな、素肌につけてみせるわけにもいかんで、ちゃんとぴちっとした股引はいてきたんじゃから・・・まぁみちょかれぇ、こうやってな・・・」と言いながら痛くもない腰にベルトを巻き付けて必死で説明しようとするその姿は、やせたお相撲さんの回し姿そっくり。おかしいやら、ありがたいやら、わけのわからない涙がこぼれた。そういえば、母の介護が始まったときも、紙おむつの替え方を説明するために、自らがベッドの上でモデルになってくれたっけ。彼女は他者のためにひと肌どころかパンツも脱げる「腰の据わった人物」なのだ。

おかげで、少しずつ私の腰にも力が入ってきつつある。そろそろ、重い腰を上げ、本腰を入れて、新しい季節の準備に取り掛からねばね。

村中李衣

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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