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2023年11月

だっこだっこセレナーデ

孫が生まれた。

「ばあばのせかいへようこそ」とか、「孫はもう無条件でかわいいですよねぇ」といろいろに言われるけれど、わたしの中では、お嫁さんの奮闘ぶりに、えらいなぁ~、ひとりでがんばってるなぁ~助けにならない姑でごめんねえ~の 3 拍子が繰り返されるのみ。せめて、お嫁さんの自由になる時間が少しでもつくれるようにと、抱っこ係を買って出る。とはいえ、「ほんの少し」だけなのである。時間が空かないのだ。せいぜい赤ん坊のご機嫌斜めな、布団に寝かせつけるとすぐに大泣きする1〜2 時間、抱いて家の中をひたすらぐるぐる歩く。暗い廊下はどうだ?窓が見える奥の部屋はどうだ?ひんやりする洗面所はどうだ?・・・でも眠くてぐずり始めると、どれもだめ。胎内で聴いた心臓の音を聞かせるグッズもぶらさげて歩くが効果なし。でも、たった2 時間、ほんの2 時間眠らせてやろうと思っている新米ママに、この強烈な泣き声を聴かせたくないという愛なのか意地なのかわからない状態で、ずうっと歌いながら抱っこで歩き続ける。今までも、わらべ歌絵本とか、『かあさんのおめん』(ほるぷ出版)にでてくる子守歌とか、『さびしがりやのドラゴンたち』(評論社)のねむらせ唄とか、『やさしいライオン』(フレーベル館)の子守歌とか、あれもこれもそれなりにさんざん歌ってきたはずなのだが、この2 時間近い、どこへ行きつくともわからない抱っこの中では、テンポも拍の取り方も声の調子もぜえんぜん違う。

彷徨える放浪者みたいな、なんともせつない、それでいて世界を大きく抱いているかのような枯れた歌になる。それにあらら、どの歌もみんなおんなじテンポだわ。おんなじ拍の取り方だわ。これって、私がワンパターンなの?それとも、本来、子守歌やわらべうたは、子どもと触れながらいっしょに身体を揺らす中で歌うとこうなるの?…ととりとめもなく考えていると、再び「ぎゃ~~!」。うわの空で抱っこするな、というサインらしい。

で、「ごめんごめん」と謝りながら、また抱っこ巡礼。そんな中でイチオシの一曲を発見。テンポも拍も他の曲と全く同じように歌っているのに、「おおきなたいこ」だけは、別格の威力。これを歌い出すと、ふぅ~と息を吐き、明らかに泣き叫んでいた赤ん坊の身体の緊張がほどけ穏やかになる。うれしくてびっくりで、なんどもなんどもこの歌を繰り返す。「ど~んどん」「とんとんとん」「ど~んどん」「とんとんとん」500 回は歌ったぞ。もはや、わたしの腹の皮は、太鼓の皮のように、振動・振動・振動。

そのうち日が暮れてくる。そろそろ太鼓打ちも店じまいかなと思うと再び「ぎゃ~!」思わず「かぁ~らあすぅ。なぜなくのぉ~」の歌詞が口をついて出た。いままでこの唄は、夕暮れ時に空を渡るカラスを見上げて子どもが語りかけている様子を描いた歌なんだとばっかり思っていた。だけど、今や腕の中のいたいけな・・・いや、最強の赤子に降伏寸前の抱っこ婆の泣き言になってるじゃないか。

だからどうなんだといわれたら、どうってことないんですが、つまりはその、歌ひとつも人生の写し絵なんですねえ・・・ってことで、笑って読み捨ててね。笑って、ですよ~

村中李衣

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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