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2022年04月

まじないの日々

 3月、久しぶりに、こぐま山の保育園に遊びに行った。卒園式も終え子どもたちは、一つ階段を上がる準備期の誇らしさを身につけている。私のもとに駆け寄って来て縄跳びを披露する女の子が「もう、太陽さん(年中組)になるんじゃ」。おひるごはんが終わって食器を洗う男の子がほっぺたに泡をつけて「もう、ぼく宇宙さん(年長さん)になるけぇ」。

 それにしても、365日でぼこ山の斜面を遊びの地面として自由自在に走りまわる子どもたちのパワーはすごすぎる。30分いっしょについて回るだけで、もう足はがくがく息があがる。後れを取ってゼイゼイしているとき、宇宙予備軍の男の子たち5人が何やら山の端っこでこそこそやっているのに気づいた。ほかの子たちを寄せ付けない真剣で秘密めいた動きが気になる。

 頃合いを見はからって、そおっと近づいてみた。木小屋の影に張り付くようにして5人が数を数えている。「い~ちぃ、に~いぃ、さぁ~ん・・・じゅう」。「じゅう」と言い終わると顔を見合わせ、無言でうなずき、それっ。一気に斜面を駆け上がる。そして、かぶさりあうように、小さな穴の中を覗き込む。「だめじゃ、まだ」。先頭の子が首を振る。後ろの4人も肩を落とす。先頭の子がきっぱり指示を出す。「もう一回!」みんな、だぁっと斜面を駆け降りる。そして再び「い~ちぃ、に~いぃ、さぁ~ん・・・じゅう」。そしてまた斜面を駆け上る。「まだだめかぁ」。

 我慢できずに「何してるの?」と尋ねると、先頭の子に「シッ」とにらまれた。「トカゲが隠れてるんだ。顔を出すのを待ってつかまえる」と、早口に教えてくれた。「よし、今度は三十にしてみよう。三十数えたらゴーだ」。5人の捕獲者たちは今度こそというように、唇をかみしめ、ふかくうなずきあう。「い~ちぃ、に~いぃ、さぁ~ん・・・じゅう・・・・にじゅういちぃ、にじゅうにぃ・・・」

 数を数える声ってこんなにわくわくするまじないの力をはらむのかぁ。

 こぐまの子たちは字を覚えたり計算ができたりすることをゴールに就学前の時間を過ごしてきたわけじゃない。その代わりにというか、それをしないことで、言葉の力を自分の身体に蓄えている。数の力を身体に蓄えてもいる。

 結局彼らにとって最高・最強のカウント「1~30」をしても、穴に引っ込んだトカゲは姿を現わさなかった。それを見極めた瞬間の少年たちの言葉はいともあっさり。「きょうはだめだったな」

 そして、次なる遊びへダーッと駆け出して行った。思わずモーリス・センダックの『ロージーちゃんのひみつ』(偕成社)を思い出した。毛布をかぶってずうっと座っているロージーといっしょに、魔女がやってくる瞬間を待つ子どもたち。とうとう「きょうはもう来ない」と引き上げた子どもたちは家に戻って親たちに「きょうはやることがいっぱいあって、忙しかった」と告げる。ただじっと魔女を待つ時間のゆたかさ、「いっぱい」に込められた子ども時代の濃密さに心揺さぶられる。

 4月、どの子の「いっぱい」の日々も薄められず幸せでありますように。

村中李衣

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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