8月末から10日間、イギリスへ出かけた。
一つ目の目的は、「グリーンノウシリーズ」の舞台となったイギリス最古のマナーハウスを訪ねること。ヘミングフォード村に着くと、ルーシーの一人息子ピーターの妻ダイアナさんの案内を受け、館内でゴーストストーリーを聴いたり、庭を見学したり。作者 L.M.ボストンのパッチワーク作品や館内にあるさまざまな原画や作品に登場する調度品を鑑賞した。
二つ目の目的は、グレイトシェルフォード村で、フィリッパ・ピアスのお嬢さんサリーさんの案内で、『トムは真夜中の庭で』の舞台となった館を向かい側の牧草地から見学し、13 時を刻む時計と対面すること。これもまた、虚と実がないまぜになる不思議な時間だった。
評伝集『ルーシー・ボストン』(国書刊行会)の出版を記念して集まったメンバーは、執筆担当者を中心にした英文学の研究者や学生達で、いっしょに話を聴いたり舞台となった場所を歩いていると、うたうように作品の中の一節が英語で口ずさまれたり、「あぁここが~ですね」と、私にとってはカタカナ書きの固有名詞が、英語で次々に場所と結びあわされていく。おぉ~みんなすごい、本気でイギリス児童文学を愛してるんだなぁと、すっかり気圧されいつもより口数少なくなっていく私。でも、だからこそわかったこともある。たとえば、トムとハティーが聴いた 13 の鐘を打つ柱時計。実はこの時計は、ピアスの執筆中には存在していなかったそうで、作品ができてから熱心な読者が作品そっくりのイメージで創ってくれものがピアスの館に置かれていた。ピアスが好んで座っていたというソファの傍らに据えられたその時計が、今も12時きっかりに打つ鐘の音を、みんな息をのんで待った。そして、澄んだ鐘の音が鳴り始めると、震えるような興奮の中、部屋にいたすべての者たちが「1,2,3・・・・13」とカウントしていた。声こそ誰も出さなかったが誰もが間違いなく数えていた。この時みんながいたのは、バーソロミュー夫人の館の中。見上げていたのは、館の本物の時計だった。今私は「本物」といった。創作の中で生まれた人や館、小道や庭はすべて作家の想像の産物である。そして、舞台となった館や小道や庭は、そのまま作品の中のそれとイコールではない。にもかかわらず、「あぁ、ふたりでこの庭を歩いたんだわ。」「間違いない。この階段をはじめて館についたトーリーが上がったんだなぁ。」「みつけた、これが梁からぶらさがってる魔法玉じゃないかな」等など、メンバーの真剣なつぶやきは、作品の中に息づく世界こそが本物で、その本物を今自分の目の前に生き返らせているすがたそのものだった。先に作品のモデルとなった現実世界があるのではない。読者にとって作品を深く愛するということは、もう一つのリアル、本物を自分の中に育てるということなのだと思い知った。みんな『トム~』や「グリーン・ノウの~」と出会った時の少年少女のまま、幸せな時を過ごしていた。
自身が創作のする時のモデルは、いつも複数のエピソードや場所や空想がないまぜになっているので、生み出した世界が読者の中で「本物」となる幸福な瞬間の存在に改めて気づかされた貴重な体験だった。
『ルーシーポストン 館の魔法に魅せられた芸術家』
国書刊行会
『トムは真夜中の庭で』
岩波書店
村中李衣