3 月初め、ここ数年続いている鹿児島の国語研究会の先生とのご縁で、屋久島のちいさな小学校を訪れました。1 年生から4 年生までの子どもたち12 人と出会い、絵本を読みあったり、お話をしたり・・・あっという間に時間が過ぎていった。
いっしょにいる間じゅう、だれも物おじせず思ったことを自由に発言するから、それはそれは賑やか。なのに、どんな他者の言葉にも深く耳を傾け、心を動かしているのがわかる。そんな姿、ここ10 年くらい、子どもたちのいる現場でほとんどお目にかかったことがなかった気がする。あ、ちょっと待て、そういえば、『立ちあう保育』のモデルとなった山陽小野田市のこぐま保育園の子どもたちが、よく似ているな。
まず、自己紹介で、「むらなかりえ」という名前は、私が生まれたときにつけてもらったなまえではありません、と説明すると「え~、なんでぇ?」「なまえ、なくしちゃったの?」と全員が私をみつめて、心配そう。「なくしたんじゃなくて、ペンネーム。ペンネームってわかるかな?」というと、1年生と2年生が、悲しそうに首を振る。そのあと、知らなかったことを耳にすれば、目を大きく見開き「へぇ~!」と反り返る。愉快なエピソードに差しかかると、隣の子といっしょに、笑い転げる。なにげなく「どう思う?」と問いかければ、「ハイッ」と手をまっすぐに伸ばして自分の考えを言ってくれる。自分の考えをみんなに伝えるのが実に嬉しそうだ。私自身の3、4 年生の記憶では、ちょっと照れて見せたり、ホントは言いたくないけど、先生にあてられたから仕方なく・・・っていう風にカッコつけたりしていたのにな。
さて「私は小学生のころ給食が大嫌いだった」という話をしている途中でのことだ。事前に12 人の名前を憶えていたので、その12 の名前の一つを使って「もしも、4 月になってみんなが一つ上のクラスになった時、フウマくん(仮名)が、おもしろくないことがあって、女子がいやがることをしたとするとね~~~」と言いかけたら、いちばん前に一列で座っていた男子の一人が「フウマくんは、そんなことはしない」ときっぱり。すると、「うん、フウマくんは、ぜったいにそういう子じゃない」と、ほかの子も口々に言った。いちばんはしっこに座っていたフウマくんは、照れながら、うん、とうなずいた。その顔を見て、みんなも、うなずいた。特別彼をかばったわけでも、彼を気遣ってのことでもなく、ごくごく自然に「彼は、そうじゃない」と言い切れる信頼関係が育っているのだ。そのあとの給食大事件の話を忘れてしまうほど、心が動いた。
おもえば、「すなお」「純真」という形容詞が気恥ずかしくなるほど、最近の子どもの世界には、弱者から強者への忖度にあふれている。不本意なことで友達と比べられたり、大人の論理を押し付けられたりする機会が少なければ、子どものこころの皮膜は突っ張ることなく、それゆえ破られにくい。他者を認めることと自分の存在の意味を切り離すことができる。出会った子どもたちのしなやかさは、屋久島のいちばん魅力的なものとなった。霧や風で飛行機はしょっちゅう欠航するけど、屋久島で人間同士が繋ぐ縁は、どこまでも欠けることなし、だ。
村中李衣
