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2024年11月

哀愁のバンクーバーロード

9月、山のような仕事をかきわけてカナダに出かけ、一ヶ月が過ぎた。今年は例年になく夏が長く裾を引きずったが、私は帰国翌日から、授業、幼稚園、出張がずらり連なり、旅の思い出を引きずる余裕など皆無だ。そんな中で、やってきたひろば通信の催促メール。こりゃもう、今後ろ振り返らずしてなんとする!

とはいえ、仕事の報告は、否が応でも別の機会にしなくてはならない。ここはひとつ、ひろば通信の読者さんになら安心してつぶやける泣きごと日記の一部を。

取材のため30年ぶりに訪れたバンクーバー、同じホテルに6日間停泊した。出発直前にコロナで渡航を断念してから3年。ようやく夢叶った訳だったが、夢の中身はシリアスだった。途方もなく物の値段が高い。スーパーで水を求めるとエビアンが6カナダドル。牛乳1リットルが5カナダドル。サンドイッチ1ピースは、安くても7ドル。仕方なく、主食は毎朝毎夕バナナとヨーグルト。たまに、日本から持ちこんだにゅうめんかお粥のフリーズドライ。

もとから食は細いが、細いのとバリエーションがないことは違う。ハーバーフロントのホテルとはいえ、オーシャンビューとは名ばかり。入江に向かって開かれたささやかなガラス窓に張り付くようにして繰り返し噛みしめる冷たい味。

ホテルでもうひとつ噛みしめたのが、来る日も来る日も生じる部屋の不具合。初日は、部屋に入るなり絨毯の埃で痒い。掃除機を借りて自ら掃除。おや、湯沸器がない。暗くなるとベッド脇のスタンドが突然連続点滅。バスタブの栓は両手で力任せに動かすしかないツワモノ。どれもフロント交渉案件。気を取り直してベッドに潜ると、壁の薄さで隣の部屋の話し声が筒抜け。英語なのに何を喋っているかまでわかってしまうほどだ。

眠れぬまま朝を待ってフロントに泣きつくと、また君か、今度はなんだ?の顔。ようやく部屋を変えてもらうが、またまた湯沸器と、今度は前の部屋にはあったベランダの椅子と、プラグボックスがない。またまたフロントへ。もう、フロントのお兄さんは部屋番号を覚えてる。やれやれと洗髪後にドライヤーを使ったら、ヒューズが飛んだ。まさしく、ヒュー。

他にも挙げるとキリがないトラブル。
一泊だと、不満をネットの口コミに書き込んでウサを晴らせばいいのかもしれないが、ここはなんとか改善の道を歩まねばならない。必死で訴える。嫌な顔されても、頼みまくる。

3日4日とたつうちに、どうしたもんだかフロントのお兄さんとの間に、じんわり慈愛の芽みたいなものが生まれてきた。一方向でない感覚。その正体がなんなのかわからないまま迎えた最後の夜。ホテル前のストリートを歩いていると、向かい側から茶色いパーカーで小雨を避けながら前屈みに歩いて来る青年。あ、フロントの。何か一言と迷っている私に、ちいさくウィンクして、彼は行き過ぎた。

ご苦労さま。ご苦労さま。お互いに、お互いに。

村中李衣

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村中李衣プロフィール

1958年山口県に生まれる。
大学、大学院で心理学、児童文学を学び
就職先の大学病院で
小児病棟にいる子どもたちと出会う。
以後、絵本を読みあう関係が続く。
現在、ノートルダム清心女子大学教授、児童文学作家。

*著書*
[子どもと絵本を読みあおう](ぶどう社)
[お年寄りと絵本を読みあう](ぶどう社)
[絵本の読みあいからみえてくるもの](ぶどう社)
[こころのほつれ,なお屋さん。](クレヨンハウス)
[おねいちゃん](理論社 :野間児童文芸賞受賞:)
[うんこ日記](BL出版)

ひろば通信、こどもの広場HPで
エッセイ 『りえさんの「あそぼうやー」』連載中

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

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