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2024年09月

〜せずにはいられない

グラスを洗う。洗剤で汚れを落とした後、水で流して終わり・・ではなく確認しないではいられない私。グラスの底をそっと持ち汚れはもちろん、自分の指先の跡などないか?曇りはないか?他の食器はササっと洗ってもこの確認だけはせずにはいられないのです。

いい加減なわたしなのに、これだけはいい加減にできないのは何故?記憶を辿っていると、立派な理科室のようなところで洗った試験管の底を持って洗い残しはないか真剣に確認しているお姉ちゃんとそれを一生懸命見ている私の姿が浮かぶ。「ビーカーや試験管は水で洗った後が綺麗に透明になってないと、何かがついていて次の時にとんでもないことになるからね」その言葉が今の私の中にキッパリと残っていて、ガラスを洗った後は確認せずにはいられない。

そしてもう一つ、魚を食べる時。魚には骨がつきものです。今では綺麗に捌かれて一切れずつ買ってくるのも当たり前のようですが、魚は頭から尻尾まで煮付けにしたり塩焼きにしたり。

当然、自分で骨を取ったりしゃぶったりしなくてはいけません。大きな魚だと頭の部分は父のもの。羨ましい。なぜなら目玉があるからです。でもここを綺麗に食べるには子どもには無理でした。いつか自分も父のように綺麗に骨だけにして食べられるようになりたいと、できるだけ丁寧に丁寧に身を取り、骨の間もしゃぶったりしました。「さっきまで関門海峡を泳いでいた魚を食べているんだよ。だから綺麗に食べてあげないとな」と、父の言葉。時々一番おいしい目玉の裏のところや、カマの裏側の美味しいところを「はい、あーん!」と言って口に入れてくれました。

だから今でも魚は綺麗に骨だけになるように食べずにはいられません。

無意識のうちに染み付いた「〜せずにはいられないこと」。きっと誰にでも、いつの頃からかわからないけれど意識せずにしていることがありそうです。

大人になって悪い癖も良い癖も、みんな自分の生きてきた証だと思いましょう。他人の迷惑にならない程度にね。

横山眞佐子

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