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2021年02月

当たり前、ではない

突然の雪。近年はあまり積もることがなかったので、ちょっとオタオタする。新聞を取りにつっかけを履いて雪の中に踏み出し、足の下の微妙なツルツル感にヤバイ!と思った瞬間、すべりそうになった!たかが数センチの雪が、考えなしにしている普段と同じ行動に警報を鳴らす。

東京2020オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会⻑の職にあった森喜朗氏の女性差別的発言に日本だけではなく世界中から非難の声が上がっている。しかしこれはほんの日常の一角に過ぎない。根は深い。

何年か前、子どもに関わる会議の席で年配の委員が「もっと女性が子どもを産まなきゃダメだ!」と当たり前のように発言。こどもの広場を始めて10年ほどの頃には、講演に呼ばれてそのあと会食の席で「横山さんはすごいね。うちのなんか掃除と育児と料理しか能がないからね」。私を褒めてるつもりかもしれないけど違うだろう!更に大学で新入生に講演させてもらった時、女子学生のコメントに「会社に入って男性と同じような仕事が出来るようにがんばります」とあった。18歳にしてすでに上には男性がいると思い込んでいる。

日本の文化も含めて、社会は未だに男性優位の意識が底を流れている。「女のくせに」とか「本屋のくせに」とか言われ続けてきたが、ようやくチョッピリ変わろうとし始めたのか。

20年近く前のことだが、社会学者の加藤周一さんが講演に来てくださった。その時、「未だ『女・子ども』という言葉が使われて、女性と子どもを一括りにして社会の中心からはずしてきたけれど、実は中心に居座っているはずの男社会はすでに行き詰まり、今や周辺からそれを観察考察してきた『女・子ども』が培ってきた客観性が社会を作る時代になってきた」と言われて励まされた事を思い出す。

ずっと自分中心で、周りは全て自分の采配で回っていると思ってきた人たちに、少し離れてこれを見てきた『女・子ども』が知見をお裾分けしよう。今まで当たり前、普通と思い込んでいたことの危うさに気づき、実は自分の中にもそれがないかもう一度振り返りたい。

広場にあるおままごとキッチンで遊んでいた子が鍋を火にかけた。私が「蓋はどこいった〜」と探していたら、彼女はもう一つの鍋をひっくり返して蓋にして「これでいい、蒸し焼き!」。当たり前に囚われない新鮮な発想に脱帽。

横山眞佐子

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