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2017年03月

まぶしい

 日差しの暖かい昼休みどき、小さな小学校のそばを通りかかりました。沢山の子供達が校庭で遊んでいます。そんな中にひときわ長身の大人の男性。細身のスーツで靴だけはスニーカー。オレンジ色のセーターにスリムなスカートの女性。二人の先生の回す大縄跳びの中に次々と子供達が入ってきます。ずーっと回しています。笑い声と共に子供達の列は途切れません。

 一年生らしい子供達に囲まれているのは、花柄のジャンパーを着てパンツスタイルの少し年配の先生。校庭の隅の落ち葉をみんなでひっくり返しています。虫でも探しているのでしょうか?

 時々伺う学校の中で、先生たちの忙しさは半端ではないといつも思っていました。学級経営、それに伴う書類仕事。次々に要求される研究。変わる授業方法の取得。掃除に部活に親対応。やってられない!と思わず言いそうな私。でも、この先生と子ども達の愉快そうなひと時を見るとこの学校での豊かな人間教育で信頼や尊敬が育てられているに違いないとチャイムが鳴るまで立ち止まってしまいました。

 今は昔、放課後も子供たちが校庭に遊びに戻り、夕焼け空になるとみんな家にそそくさとかえっていた頃、私はいつも校長先生と花壇の周りでうろうろしていました。運動系は全て苦手な私は校庭を走り回るより、雑草を抜いたり、土をスコップで掘り返したりしながら、授業ではない話しを聞いていました。背広のままで、花壇にしゃがみ掘り返した土の中から出たミミズを再び土に戻し、小さな苗を日当たりのいいところに移し、雑草と呼ばれる草に名前があることを教えてくれた白髪の校長先生の「みんな平等に一つの生命を持っているからね」の言葉を忘れられません。

 生まれてからまもなく家族から離れて、保育園や学校に何年間も通う子供達。そこで出会う大人の一挙手一投足が、真っさらのこどもの心にどんな影響を与えるのか。考えると大人として恐れを抱きます。良くも悪くも真っ直ぐに受け止めてしまう子どもたちに授業内容は勿論、学校生活の日常のあり方も注意深くあらねばなりません。

 教育勅語を暗唱させられる教育と、平和で一人一人の命が大切だと教えられる教育とどちらが自分の大切な子どもにも伝えたいのか?今はそんな岐路に立っているような気がします。

横山眞佐子

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