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2024年03月

生きていく

ふとみたら洗面所の下に水溜り。私がうっかり水をこぼしたのかと一瞬思ったけれど、そんな量ではない。慌てて板を剥がしてみたら排水管からポタポタ落ちているじゃない!バケツを置き応急処置だけして、なおるまで水道は使えなくなりました。

「経年劣化」と言われ取り替え修理をしてもらいましたが、確かにこの水道管をなおした記憶はありません。ということは 40 年、50 年経ったということ。見回せば全てのものは時間と共に少しずつ変化していくことに気がつきました。昨日と今日は全てが同じではないのです。時間は止めることができないし、今日の自然の有り様も昨日とは違っているはずです。そう思って古い家を見回すと天井も柱もマイナス方向に変化していますが、ふと庭を見ると子どもの頃は小さかったツツジの木は大きくなり、ゴツゴツの枝先に新しい芽を出して伸び上がっているバラはもう 40 年近く春と秋に黄色い花を咲かせてくれる。形を変化させ新しく成長していくものもあるのです。

人間も長い目で振り返ってみたら、何万年もかかって前に向かって進化してきたのです。物はそのままだと時が経つと劣化、古くなる方に変わっていくかもしれないけれど、人間の知恵は常に新しい物へ作り替えていくということが出来るのです。

でもちょっぴり心配な事もあります。便利になればそれに慣れてしまい、いざそれが使えなくなった時、人間の経験値が減ってしまうのではないか?ということ。

小学生になり、新しい鉛筆と小さなナイフを買ってもらって、まずナイフの危険さを教えられ、それから鉛筆の持ち方ナイフの当て方力の入れ方を手取り足取りで指導され、恐る恐るだけれど初めて鉛筆を削れた時の嬉しさは忘れません。遠足でリンゴの皮を最後まで切れずにナイフでくるくる剥いた時に、みんなが拍手してくれた事も思い出します。

鉛筆削り機もナイフも不要な時代になりそうです。危ないから!という理由で。

危ないことを知ったうえで工夫し、人間の持っている際限のない力が育ってくれればと思います。バラのゴツゴツした幹に負けないように。

横山眞佐子

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