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2024年01月

よりそう

今から8年前、それまで飼っていた犬が年老いて死んでしまった。可愛がっていた母の心が空っぽになったのを見て、保健所の動物愛護センターに連れて行ってみました。その時、広場の真ん中の杭に繋がれて大きな声でワーンワーンと鳴いていた犬が、母が近寄った途端に鳴き止んだのです。その途端、母は「この子を連れて帰る」と目を離さなくなりました。私たちが手続きを済ませて、車の所に連れて行くとあっという間に母の横にべったりくっついて乗ってしまいました。

以来、認知度がすすんだ母に寄り添い続けて、愛をかけ続けてくれた犬(ぜぜちゃん)。その母も今はいない。成犬で我が家に来る前、どんな育ちをしたのか?ぜぜちゃんの瞳は時々悲しく不審な光を宿します。母に出会う前、どんな時間を過ごしたのだろうか?と思いながら、ペットの話をしている場合ではない出来事が、私たちの日常を取り巻いています。

かけがえのない大切な人や暮らしを一瞬で失われた方々におかけする言葉も持っていない自分。ふと避難所のニュース映像に小学生が幼児たちと遊んでいる場面を見ました。嬉しそうな笑顔。先の見えない中で、大人は笑ったり遊んだりしてはいけないのではないか?という気持ちもはたらくでしょう。周りにビクビクしながらそれに従い本心は出さず、無感動にもなってしまいがちです。

でも、これから長い時間生きて大人になっていく子どもの持っている、幼い頃の受容の器は大きく深いのです。悲しかったら泣く。怖かったら叫ぶ。嬉しかったら笑う。そこにギュッと抱きとめてくれたり、共感してくれたりする大人がいないと育っていけないのです。

昨日、私の前を歩いていた若いお父さんが抱っこしていた2歳くらいの男の子。両足をしっかり巻きつけ、片方の手もお父さんの首にしがみついています。ふと私と目が合いました。握っていた手がひらひら揺れ「このひと、ぼくのもんだもーん!」と得意そうな瞳。幸せだね。

横山眞佐子

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