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2022年07月

カンナ・夾竹桃

夏が来れば二つの花を思いだす。それはカンナと夾竹桃。

暑い夏の日、小学生の私は母と一緒に祖父の家まで緩やかな坂道をてくてく歩いています。道の側の家に背の高いカンナの花が赤や黄色に咲いています。綺麗だなと見惚れていると「この花はカンナって言うんだけど、私は嫌い」母がポツリと言いました。こんなに綺麗なのに何故だかわかりませんでした。

そして夾竹桃。ある日、祖父がふと「夾竹桃は原爆が落ちた時も咲いていたんだよ」と言ったのです。

1945年8月6日広島に、9日には長崎に原爆が落とされました。そして母の弟は被爆して亡くなりました。戦後に生まれた私は会えなかった叔父です。ずっと後になってその時のことをポツポツと祖父や母や叔母が語ってくれ、それを繋ぎ合わせていくと、身内を死なせた戦争の悲痛さが私の中をかけ巡るのです。

祖父は長崎大学に通っていた息子の死を友人からの知らせで知ります。すぐに下関から海を渡りなんとか浦上駅に着いたのが8月13日。瓦礫と死体と腐臭の中を探し回りようやく奇跡のように息子の遺体を見つけ、あたりの木片を集め腕の一部を焼いて持って帰ったのだと一度だけ話してくれました。

下関も6月29日と7月2日に空襲があり、市街地が焼け野原となり、知人も亡くなるという恐怖と悲しみを母も祖父も味わったばかりの時です。免れた自宅付近はまだ緑が残りその中に一際赤くカンナの花が咲き、夾竹桃の濃い葉の間にはピンクの花が咲いていたのです。母には弟の死と燃えるようなカンナが、祖父には骨になった息子と夾竹桃の花が結びついたのではないかと思うのです。平和の中で育った私には、想像する事しかできないのですが、もう二度としてはいけない戦争の深い慟哭はいつしか二つの花と重なりました。

戦後77年、語れる人が少なくなってきました。それでも私たちは、本や映像などいくらでも知ることはでき
るはずです。体験したことは無くとも想像する力で繋がっていくと思います。カンナや夾竹桃の花が母や祖父の無念さ、悲しさを伝えてくれるように。

参考文献「カンナ炎える夏ー下関空襲の記録」
野村忠司(下関図書館蔵)「広島の原爆」那須正幹(福音館書店)

横山眞佐子

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