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2022年02月

目線を変える

一日中降り続いた雨がようやく止んで家に帰ってみると廊下に足跡が!庭側のドアから家中の廊下を歩き回ったこれぞ「そくせき」。ここから入って部屋を覗き、次に玄関先で立ち止まりもう一度庭を覗き、足から泥が無くなった頃、自分のベッドで丸くなり、知らん顔して寝ている我が家の犬。仕方ないから久しぶりに膝をついての雑巾掛けをしてみると、普段見ていない床に近いところの汚れが目についてきて、仕事が増えてしまった!脚立に乗って電灯の付け替えをした時も普段スルーしている傘や天井の埃が目についてきて困った。いつもと違う目線で周りを見回すと見ないふりをしている事や物がいっぱいあることに気がついてあたふたしてしまう。

子どもたちの目の高さで「こどもの広場」の室内を見回すとテーブル掛けの下から見える透明な何かが気になる。本箱の本の上にツンツン出ている何かが気になる。(スリップって言う本にはさんである注文票)。切り株は登って飛び降りるのにピッタリ。本箱の下に積み木が落ちている。色々面白くて遊ぶことがいっぱい。お陰で綺麗に並べてある本はちょっと目線から高すぎるのか興味から外れているみたい。まあいいか!遊び場でも。私たち大人だって見る場所や位置によってあるのに見えていないとか、見ていないとかいうことがいっぱいある。

このところの子どもへの虐待のニュースを見るたびに、その間の子どもの気持ちだけではなく手を上げた大人の追い詰められた気持ちを考えずにはおれない。誰にも子ども時代があったはずで、それはどんな日々だったのか?と。だれもその人に目を注いでいなかったのか。

人だけではなく、一つのことを反対側から見たり考えたりしたら?テレビで見たロシアとベラルーシの合同演習はウクライナとの戦争の可能性の高さを物語っている。兵士たちは皆銃を構えている。でももし命を奪う側の自分と奪われる側が入れ替わったらどんなふうに感じるのだろう。

目線を変えるということは自分の中に沢山の事実を積み重ねて考え、悩むことかもしれないと思う。他人の命を奪わないよう、世界が相手の目線になれますように。

 

横山眞佐子

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