エッセイを読む

2019年10月

気になる

 下関から小倉行きの普通列車に乗った。11時前ということもあり車内は割に空いていた。見るともなく見回すとやはりスマホをみている人が多い。カバンから読みかけのミステリーを出してふと前を見ると熱心に新書を読んでいる若者が。若い同類がいて嬉しい。小倉駅に着きみんな降り始めたけれど若者はまだ座ったまま。側を通りながらふとタイトルを見る。「大隈重信」渋い!しかしこの列車は小倉止まり。気になりながら人混みに押されて階段に向かっていたら、慌てて降りて来た。まだ高校くらいの年頃。しかも、名残惜しそうに本は握ったまま。改札を通りながら、また本を開いている。歩き読み。二宮金次郎か!

 おかしくなりながら思い出した。私も小学校の帰りに本を読みながら溝に落ちた。娘は夢中になっていて、ベッドから転げ落ちた。最近ではあと少しがやめられず、お風呂に持って入って落としてしまい、べったり濡れたページは結末を読むのが大変だった。

 なんでこんな風に一冊の本にハマるのか?いつから、なんのきっかけで、本が人生の伴侶になるのか。そうでない人も沢山いる。

 学校の校長先生が「僕は本が好きじゃなくてほとんど読まないですね。読むのはすぐ役立つハウツー本ですかね」と言われた時は驚いた!「そんなこと嘘でしょー!!先生なんだよー!」とうろたえるのは私の思い込み。本を読まないと知識が浅い。本を読まないと想像力に欠ける。本を読まないと・・・いやいや本なんか読まなくても素晴らしい生き方の人は沢山。本なんか無くても幸せに周りと助け合えて人生送れる。事実その校長先生は放課後、ウサギ小屋のところで楽しそうにウサギを外で遊ばせていた。そして子どもがまぶれついていた。校庭の向こうから何人もの子どもが「こうちょーせんせー」と叫びながら走ってきている。子どもに信頼されている。ウサギの飼育方法を講釈するより、可愛がり、触り、一緒に餌になる植物を探す。学びの基本かも。

 さて、「大隈重信」に夢中な高校生は目の前に本を掲げたまま小倉駅前の歩道橋を歩いて行った。将来、政治家に?その前に早稲田大学に?それとも英語が大事とさらに学ぶ?

 読んだり行動したり想像したり。こんな風にぼーっと見ていた私は時間に遅れそうになった!

横山眞佐子

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