エッセイを読む

2018年07月

怖い

学校が夏休みに入った。今年も沢山の学校で選書会とブックトークをさせてもらった。どこに行っても「おはなし」が大好きな子どもたちがいて、面白ければ本気で言葉に耳を傾け、つまらなければ聞き流す人間の素朴な姿を見せてくれる。それは、私の話す言葉が受け取ってもらえるかどうかの真剣勝負の場でもある。一冊の本が「面白そうだ!」と思い、「読んでみたい」「その先どうなるか知りたい」と好奇心を掻き立て、いざ自分で手に取り読んでみたら「ほ~!こうなるのか!」と満足感を得られ、さらにこれと同じように面白い本はないだろうかと思い始める・・ようになって欲しいというのがブックトークの基本。低学年の子どもたちが固唾を飲んでシーンとして身を乗り出したのはやはり怖い話、「千びきおおかみ日本のこわい話」(筒井悦子再話太田大輔絵こぐま社)。旅の商人が夜の森の中で沢山の狼と妖怪の猫又のばあさんに襲われそうになる話。息を呑む展開に子どもたちは身じろぎもしなくなりシーンとしているところで、私は話をやめる。1番のクライマックスは自分の力で読んで欲しいし、子どもにとって「怖い」という感じが各々まちまちのはずだから。その話は怖そうだからそれ以上聞きたくないと思う人と、そのくらいなら怖くないと思う人。そこんところは自分で判断して欲しい。「この後はもっと怖いから、怖いのが好きな人だけ、続きを読んでね。怖いのが嫌な人は絶対読んではいけません。他の本を探しましょう」。私のこの言葉に我れ先にと本を手にする子、読みたいけど悩んでいる子、絶対触れない子。それぞれが自分の心の按配を測っているように見える。ある学校で一年生の男の子がすかさず私の手の中に自分の手を滑り込ませ「怖い本ない?」「猫又の本は?」と案内すると、チラッと見ただけで避けるように私の手を握りしめ「他の怖い本・・」。わざと表紙の怖そうな妖怪ものや、学校の怪談の本を見せるけれど、なるべく遠ざかろうとする。「怖い」ということに興味はあるけど、自分の中の怖い許容度を測りかねている・・そんな感じ。大人になれば妖怪や幽霊といった物語の中での恐さだけではなく、そんなものを作り出してきた人間の心の世界の恐ろしさや哀しさ、寂しさを、嫌という程味わう事になる。だからこそ今本の中でちょっとずつ怖いことの免疫をつけて欲しい。そして現実の世界で起きる、いや人間自身が起こす恐ろしいことには決して免疫力なんかつけてはいけない。少年は最後に絵本の「こわめっこしましょ」(tuperatupera作絵本館)を選んだ。嬉しそうに「怖~」つて言いながら。


絵本館/1400 円+税

横山眞佐子

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