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2021年03月

手助け

日曜のお昼過ぎ、車一台がようやく通れる細い坂道で何やら沢山の人の声。びっくりして外に出てみたら広い道に出るてっぺんで、一台の軽トラックが溝に車輪を落としてしまっている。持ち主のお年寄り二人が必死で車を持ち上げようとしたり、ご近所の人たちも数人でアイディアを出し合っている。そのうち誰かが長い木の棒やレンガなどをどこからか運んできて車輪の下にかませたりテコのようにもちあげようとしたり。でも車は空回りしなんだかきな臭いにおいも。その頃には私を含めて7〜8人が取り囲み、ついに誰かが「レッカーしかないか」「私がJAFに入っているから呼ぼう」と。いつもは鳥の声くらいしかせず、こんなに皆んなが顔を合わせることのない町内の人たちの気持ちはみんな同じ。なんとかしてあげたい!

ところがそこに一台のトラックが通り過ぎて行った。と思ったら直ぐに向きを変えて戻ってきて、降りてきた人がテキパキと車を点検し自分の車からロープを下ろし2台を繋ぐと「僕が引っ張るから同時にバックで!」みんなが手に汗握り、冗談ではなく祈るように見つめる中ガーッとエンジンがかかり落っこちていた車が道に上がってきた。

集まった人たちから思わずバンザイ!!!の声と大きな拍手。引き上げてくれた人と車はロープを外すとあっという間にいなくなり、ありがとうを言う間もなかった。日曜の昼下がり、普段はあまり喋ることのない町内の人達が立ち話で盛り上がり、みんなニコニコして解散。

それからしばらくして近くに停まっていた車と運転手さんが、先日の救助してくれた人だと気づき、思わず「ありがとうございました」と言った後、歩き出した私の後ろで「あ、先日の方!ありがとー」と声がして、振り返ったらこの前の立ち話仲間だった。小さな絆ができたようで嬉しい。

人は一人ぼっちでは生きられない。わかっているけれど日常の中で人間関係に悩む人も多い。

3月は辛い月でもある。新聞テレビで流れる3・11からの10年を見るたびに何一つ手を貸せなかった自分がいる。それでも記録された映像や書籍の中に、悲しみを抱えながらも前に進み続ける方たちとそこに寄り添う人を見せてもらう事で、遠く離れていてもその時の痛みを忘れないで居たいと思う。
「雨ニモマケズ風ニモマケズ・・アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ・・」(宮澤賢治)そういうものになれないけれど。

横山眞佐子

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