エッセイを読む

2021年01月

安野光雅さん

2021年がやってきても、相変わらずコロナ感染の怯えと不安から解放されない。そんな中さらに悲しい知らせが飛び込んできた。画家、安野光雅さんが昨年12月24日に亡くなられたと。

人の死は必ずやってくると頭ではわかっていても、自分自身の身近にも起きることがあるという事実からはなるべく目を背けてきた。一昨年母を亡くした。安野さんも同じ年。だから一般的には年齢に不足はないかもしれないけれど、大切な人が生から死へと旅立つ事を簡単には受け止められず、新年から涙が止まらない。

1997年、初めて下関市立美術館で「安野光雅の世界展」が開催された。ユーモアと遊び心に満ち、年齢に関係なく沢山の大人や子ども達が美術館の中をウロウロする様な展覧会を、それまであまり見たことがなかった。館内に入ってすぐのホールは迷路だった。安野さんの「もりのえほん」という文字のない隠し絵の絵本のページを、そのままのプリントしパネルに貼り、それでホール全体を迷路にして組み立てた。その頃各地で迷路が流行っていた頃だったが、こんなに面白くてグレードの高い迷路はなかったと思う。なんとしても出口にたどり着かないと展示室には入れない。子どもは素早く走り回り、間違ったり逆走したりしているうちに出口にたどり着くけれど大人は別。壁面に隠された鳥や鹿を見つけ、向こうの山並みがモナリザのように見えたりしているうちに、どんどん安野さんの不思議な世界に迷い込み、気づいたら好奇心溢れる子どもの心に戻っている。これを二階の通路から見下ろして「〇〇さんが迷ってるぞ〜」と楽しんだりもできた。もちろん会場に飾られた絵の一枚一枚に物語を発見しては滞留時間がどんどん⻑くなる。それから一昨年まで、新作が出るたびに特別展を開催してくれた下関市立美術館だった。

絶対に講演会はしない!!と言われていた安野さんだが、沢山集まってしまった聴衆に(しかたなく)若い頃山口県の宇部や周南にいた話や子ども時代のエピソードを語り始め、みんな面白くて釘付けになった。海峡の側で突然キャンプ用のイスを広げスケッチを始めたり、「下関の海峡の見えるレストラン」でペペロンチーノを食べた話を書かれて、「それはうちの店?」と何店もが大喜びしたりと、エピソードは尽きない。

訃報に驚き思わず「空想亭の苦労咄」を手にしてしまった。そこには安野さん自身の書いた「私の死亡記事」が載っている。面白がりの安野光雅さん。さようなら。

横山眞佐子

いままでのエッセイを見る

バックナンバー

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

ひろば通信には新刊の情報やこころがほっこりするエッセイが盛り沢山!