エッセイを読む

2017年12月

警戒警報

 オムツがプックリの一歳の人たちが10人くらいお部屋で遊んでいる。朝9時過ぎで、まだお母さんの胸から離れたばかりの保育園。

遊んでいるといっても、ぼんやり指をくわえている子、先生の膝によじ登ろうとしている子、二人で向かい合っている子、様々。一歳のクラスとはいえ、一歳一ヶ月なのか、七ヶ月なのかで子どもの育ちは大違い。私が窓から覗くと、一人の子が気がつく!警戒警報発令!何か声を発したわけでも、行動をしたわけでもないのに何故かみんなの視線がこちらに釘づけ。立ち上がれる子がみんな一斉にムクッと立ち上がり、動かず目だけが不審な人を見つめる。

いつか動物園でミーアキャットのいる所を通りかかった時、一匹と視線が合った途端に、みんなが立ち上がり、同じ格好で私を凝視したな!と思い出した。

「知」や「理」という世界、あるいは「社会」という他者との関係が重要でない幼い時代、人間も他の生き物と変わらず、生きるということに自分の全存在を使っている。自分では何もできない赤ちゃんだと思っていたら、なかなかすごい。あの泣き声で、周りの大人は右往左往し、あの笑い顔で慰められる。そして自分にとってこいつが有害かどうか感じようとしている。ミーアキャットの一匹が危険を察知するとその気分はみんなに伝わる。危険が去るまでは警戒を怠らない。命がかかっているからだ。人間の幼さもいつも命の危険を感じているに違いない。一人の鋭敏な察知能力が電波の様にみんなに伝わっていた。

窓の外から私と一緒に覗く園長先生と可愛い犬のパペット人形の方に視線が映った時、棒立ちになって身じろぎもできなかった子どもたちの体からチョット力が抜け「良し!」と言われたような気持ちにさせられた。そーっとドアを開けて入る私とワンコに、一人の女の子がヨチヨチ近づき、ツンと触って一目散に先生の所に戻っていった。振り返る子どもに笑顔。他の子どもたちからも「居てもいいよ」という許しの目線が。

するりと座ってワンコが絵本を開く。やれやれ。大合唱で泣かれなくてよかった。出雲での小さな人との出会い。今年も良い年をありがとうございました。

横山眞佐子

いままでのエッセイを見る

バックナンバー

毎月のエッセイは
ひろば通信に掲載されています

ひろば通信には新刊の情報やこころがほっこりするエッセイが盛り沢山!