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2021年07月

生きる

 友人が可愛がっていた犬を亡くしました。歳を取り自力では起き上がれなくなっているのにトイレは自分でしようとする。その健気な姿に生きていてくれるだけでいいと思っていたけれど、命には限りがあります。

 いつも傍にいてくれた犬やネコを亡くした時の悲しみは想像に難くありません。「もう犬は買わない」と言っていたのに数ヶ月後、犬の写真が送られてきました。目を伏せて尻尾も垂れています。保護犬を引き取ったというのです。素敵な首輪をして「広場」にやってきましたが決して私たちと目を合わせようとはしません。リードを引っ張りどこかにいこうとしています。人間には不信感があるようでした。それから1ヶ月、顔を上げ尻尾を振り私たちと目を合わせて「早く散歩いこぜ」というようにグイッとリードを引っ張る、見違えるような犬になっていました。

 犬は野生のオオカミが長い年月を経て人間に飼われるようになった種であることは知っていますが、元オオカミが野生で生きる本能を少しずつ変えて、人を仲間として受け入れて、寄り添い助けてくれようとする受容の力はどうやって育まれたのでしょうか?

 人の温もりを知らず、放浪していた1匹の犬が飼い主という仲間を見つけ、一緒に生きようぜ!と変化する。引き取った友人が撫でたり抱きしめたり話しかけたりしていつも側にいてやっているうちに、ある日この人を信じようと感じたのでしょう。

 育ちの過程で心に傷を受ける。多分私たち人間もみなそうです。でも傷ついてもそれに気づいて「大丈夫」と言ってくれたり、お医者さんに連れて行ってくれたり、そばにずっといてくれて「辛かったね」と共感してくれたりする人が一人でもいたら、傷を癒やし前に進めます。

 今年も春先から、たくさんの学校に呼んでいただき、選書会を開くことができました。そして幸せなことに、ちょっぴりでも子ども達に本の話(ブックトーク)をさせていただきました。本の世界に一瞬で入って来て想像力を働かせ、物語の中で自由に自分を開放する。一人一人の子どもが美しく、個として輝いています。この子どもたちが一人も取りこぼされることなく、自分らしく生きて欲しいと願います。

 わんちゃんの名前はベル。幸せな音が聞こえますか?

横山眞佐子

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